私たちは、自分に明らかな落ち度があって人から非難された場合でも、そのことを素直に受け入れられないときがあります。ましてや誤解を受けたり濡れ衣を着せられたりして窮地に陥った場合は、憤懣やるかたない思いに駆られ、自分の正当性を強く主張するものでしょう。
もちろん相手の誤解を解いて、正しく理解してもらうための努力は必要です。しかし、こうした場合もただ相手を責めるのでは、お互いの中に憎しみの心が育つだけではないでしょうか。まずは“誤解を受けて非難されるのは、まだまだ日ごろの自分に人からそう思われるような不完全な部分があるからではないか”と、みずからを振り返ってみるのです。そしてますます謙虚に自分のやるべきことに努め、心を磨いて周囲への思いやりを尽くしていくと、新たな道が開けてくるかもしれません。
『ニューモラル』260号,『366日』5月25日