『法華経』に「衣珠の喩」という物語があります。――ある男が親友を訪ねた際、歓待を受け、酔いしれて眠ってしまいました。親友は仕事に出かけなければなりませんでしたが、男を起こすに忍びず、高価な宝玉を男の着物の端に縫い込んでおきました。
その後、目覚めた男は他国へ赴きますが、落ちぶれて、衣食にも事欠くようになりました。そしてある日、男はこの親友と再会します。親友は零落した男の姿を見て、悲しんで言います。「僕は君が安楽に暮らせるようにと、君の服の端に宝玉を縫い込んでおいたのに、どうしたのかね」と(参考=『法華経入門』祥伝社)。
人は、自分自身の心の中に備わった「宝」の存在に気づいていないことが多いのではないでしょうか。私たちは、一人ひとりが貴重な存在です。この点を自覚し、内に秘めた「宝」がさらに価値あるものになるよう、磨いていきたいものです。
『ニューモラル』285号,『366日』12月9日