私たちの思いやりの心には、蛇口がついているようです。
勢いよく出るときもありますが、時にはぴったり閉まってしまうからです。
出たり出なかったりする思いやりの心を持った不完全な私たちですが、私たちの中には、優しい心、思いやりの心が、まだまだ使われずに、眠ったままになっているはずです。
「鐘中に響きあり、打せずんば鳴せず」という言葉があります。
立派な釣り鐘も、人が撞木で打ってこそ、すばらしい音色を発するのです。
自分の心の中にある思いやりの心は、みずから実行してこそ生きてくるのです。
だれもがすばらしい可能性を秘めています。
それを掘り起こす熱意、汲み上げる努力や工夫を大切にしたいものです。
『ニューモラル』248号