つい「自分の尺度」を「社会の基準」と思い込み、他人を変えることにエネルギーを注ごうとしてしまっていることはないでしょうか。しかし、そのエネルギーはかえって問題を複雑にし、人と人との「和」を損なう力になりかねません。
人は物事に一生懸命に取り組んでいるときほど、周囲が自分ほど熱心ではないように見えて、“自分だけが頑張っている”という気持ちを持ってしまいがちです。熱心さは大切なことですが、それは時に、自分の心を堅く、狭く、高慢にしてしまうことがあります。私たちが「熱心さの弊害」に陥ったとき、他人のよいところは見えなくなり、周囲から「和」が失われていくのです。
一生懸命になっているときほど、考え方や歩調の異なる人を受け入れる「心のゆとり」を忘れないようにしたいものです。
『ニューモラル』498号,『366日』11月7日