心づかいQ&A

ニューモラルで人気のコーナー。

モラロジー研究所の玉井哲講師が、さまざまなお悩みに答えます!!

Q:押しつけられてばかりの人生

 昔から、日常の些細なことから進学・就職といった大きな問題まで、親をはじめとした上の立場の人たちにすべてのことを決められ、押しつけられてきました。それらは私の希望とは一切かみ合っていませんでした。もちろんやる気はまったく起こらず、いろいろなことを「失敗させられ」ました。「おまえのためを思って」は通用しません。大人になった今でも、いろいろな人から善意の押しつけを受けることがあり、「意地でもそうはしない!」という決意だけを強めています。
(30代・男性)

A:他人のせいにしない自分をめざそう

 これまでの30年あまりの人生を振り返ったとき、大小さまざまな判断や決断にいつも上の立場の人たちが干渉して、あなたの考えや思いが無視され、押しつけられてきたことに強い憤りを感じておられるようです。あなたの心中は不平ばかりで、やる気はわかず、失敗したことのほうが多く、被害者意識ばかりが増大しているのは無理もないことと思いつつも、少し案じています。
 どのような状況であなたの自由意思が無視されることになったのかは分からないのですが、あなたは長い間、自分の気持ちを押さえつけられながらも、反社会的な道に走ることなく自分を律し、持ちこたえてきたのでしょう。ここでは、そのあなたが今、自分の意志と決断によって自分の人生を歩んでいきたいと強く望んでおられることを後押ししつつ、考えてみたいと思います。
 私たちは、自分の思いが他者の力で押さえつけられ、自分の存在が無視されるようなことが続くと、親や周りの人たちを信じることができなくなるばかりか、本来の自分を見失い、自分の人生そのものを傷つけてしまうものです。一人ひとりの人格を尊重し、学び合い、痛みを分かち合って、互いの非を許し合うといった「人間の弱さへの共感」の欠如。世の中で起こる事件の大部分は、そこに原因があるのではないかと感じます。
 しかし、人間社会の理不尽さや不合理がまったくなくなることはないでしょうから、この理不尽さの中でもどうにか持ちこたえ、自分の人生を切り拓いていくことは、私たちが生きていくうえでの基本的な課題ともいえましょう。
 あなたにも、少し考え方を変えてはどうかと思う点があります。現在のあなたを取り巻くすべての状況を、他人の押しつけや社会の理不尽さのせいだけにしないこと。そして、自分のことは自分で守っていけるだけの生活力と人間力を身につけるように、意識を切り替えてくださることを願っています。
 いろいろな小さな善意にも敏感に「押しつけ」を感じ取り、「意地でもそうはしない!」と強く反発されている表現を見ますと、他人の言動に対して少々過度に反応しすぎているように思われます。過去に親や大人たちから受けた過干渉的態度がトラウマとして残り、真の善意と過干渉との見分けがつかなくなり、人間関係を円満にしていきたいという思いまで蝕まれてはいないでしょうか。
 他人の考えに振り回されることなく自分の考えを調和させ、自分らしい道を歩むということは、あなたが努力しない限り、実現するものではありません。しかし私は、あなたがその努力を続ける限り、きっと「生きる喜び」を取り戻して、成熟し、自分や他人を好きになれると信じています。

 

令和2年4月号

Q:友人との「比較」がやめられない

 30代後半になりましたが、未婚で、もちろん子供もいません。仕事は非正規のパートで、親と同居しているため、独立もしていません。友人は皆、結婚して子供がいたり、順調にキャリアを積んでいたりして、いわゆる「勝ち組」ばかりです。自分の状況と比較すると悔しさもあり、つい「独身のほうが気楽でよい」などと、友人に対していやみを言ってしまいます。こんな自分を変えることはできるでしょうか。
(30代・女性)

A:人は、うぬぼれるために生まれてきたわけではない

 未婚で親と同居、非正規のパートで働いているという状況に、自立・独立しているという実感を持てないでいるようです。したがって、どうも友人に対して引け目を感じ、やせ我慢をしている自分を好きになれず、生き方を変えたいと悩んでおられるのでしょう。
 これまでの人生がどのようであったかは存じませんが、あなた自身が今までの生き方を振り返ってみたとき、親や家族との関係、他人や社会との関係で自分がなしてきたことについて、完全とはいえないにしても、その折々に誠実に、精いっぱい歩んできたとすれば、立派に自分の責務を果たしてきたと考えていいのではありませんか。
 人は「他人と比較する心」にとらわれると、自分を守りたい、負けたくない、正当化したいという悪循環に陥ります。そして際限なく他人をうらやんだり、ねたんだり、見下したりして、人間に対する見方、考え方がますます惨めになってしまうようです。
 地上に生きるあらゆる存在の中で、人間だけが「他者と比較する」という感情や意識、さらには自由意思を授かっています。その感情や意識や自由意思は、自分を成長させ、周囲の人たちと共存するために「他者に学び、自分を省みる」というように前向きに活用する限り、自分の強い味方になります。しかしその反対に、自分を誇示したり、ひがんだり、やせ我慢をしたり、嘘をついたり、自分や他人を傷つけたりという方向に使ってしまうと、心の喜びや充実感を味わうことができなくなり、自分の人間性を下げ、ついには大切ないのちを傷つけてしまうことさえあるのです。
 私たちは、他人と比較して他人より優れていることをよしとするために生まれてきたのではありません。自分に与えられた気質や諸能力、また、授かったいのちを生かして、他者との親しい信頼関係の中に奉仕し合うという共生・共存・協力に向かうべく生まれてきたという考えを大切にしたいと考えます。
 あなたが今、弱気になって、他人との比較意識に悩まれていることは、一つには「自分の今までの生き方の中で何かに徹底して取り組むことができなかったのは、自助努力が足りなかったからではないか」という反省心の表れなのかもしれません。また、一方では「自分の置かれている場所で、与えられたいのちをもっと輝かせ、自分らしく、無心に自分の道を歩んでいきたい」という心の声と考えてもいいでしょう。
 思うようにいかないことの多い人生に、イエスと言うかノーと言うかを決めるのは、他人でも社会でもありません。あなた自身が自分の人生の主役であることを忘れないでください。

 

令和2年3月号

Q:再婚に踏み切れない

 5年前に離婚をした後、結婚相談所の紹介で、先妻を病気で亡くした男性と知り合いました。最近、再婚に向けて相手の家で同居を始めたのですが、前の奥様のことがどうにも気になって仕方がありません。仏壇には毎日手を合わせ、私なりに供養は大切にしているのですが、知人に「大丈夫なの?」と言われるたびに、なんとも言えない気持ちが膨らんでいきます。こんな気持ちのまま再婚をしても、相手にも亡き奥様にも申し訳のないことになると思い、迷うばかりです。
(50代・女性)

A:勇気を出して語り合う機会を

 再婚を考えて通い始めた結婚相談所での気の合う男性との出会い。ところが彼の家での同居を始めた後、あなた自身の気持ちの問題として、彼の前の奥様のことが気になって、前向きな思いが浮かばず、再婚にも迷いが生じているようです。
 結婚は人生の一大事ですから、いくつになっても慎重になるのは当然です。最近は個人の結婚や離婚についての自由度が高まっているようですが、それぞれの運命を背負った2人が結婚の意志を固め、条件が整って成婚に至るということは、奇跡に近いという認識に変わりはありません。まして再婚となると、より多くの条件に思いをめぐらされることになるでしょう。しかし「苦悩なくして喜び少なし」といわれます。あなたが今回の結婚に迷われるのも大切な意味があってのことだと、前向きに考えたいものです。
 知人が何かと気にしながらかけてくれる言葉を軽く流してしまうこともできるのでしょうが、「その言葉に何か真実が含まれているかもしれない」というあなた自身の心の内からの声に、謙虚に耳を傾けることは大切です。あなたが自分の人生を悔いのない、深い人間愛に基づいたものにするための大切な機会であると考えたとしても、決して相手に対して不誠実ということにはならないでしょう。
 あなたは彼のことを大切に思い、彼の先妻のことをも祈りながら同居に踏み切ったのですから、素直な気持ちで自分の心配事や身近な人間関係のことなどを彼に伝え、さらにはそれに対する彼の考えを聞くなど、理解し合うことに集中するよい機会と考えます。すべてを語り尽くすことはできないにせよ、彼との今後の人生のためにも心の中にわだかまりを残さず、信頼と尊敬の関係を築けるように努めることです。
 心の中の小さな不安や心配がちょっとしたきっかけで膨らんでしまうことは、よくあるものです。特に人生の後半に入る時期に出会った2人が新しい関係を創造するための迷いや苦悩には、大きな意味があるように思えます。
 相手のことを大切に思えば思うほど、今までの何十年というお互いの人生の重みを理解し合い、心の喜びやわだかまりを分かち合う時間は必要でしょう。そう考えれば、そのきっかけとなった知人の言葉がけも、感謝の心で受けとめることができるのではないでしょうか。
 知人の小さな言葉にも自分自身を振り返ることができるあなたの心の柔軟さは、ぜひ大切にしていただきたいと思います。まだ出会ったばかりの彼のことを大切に思い、それぞれの義務と責任を果たしていくという覚悟と努力の積み重ねのうえに、新しい道が開けていくことを信じます。どうか勇気を出して語り合ってください。

 

令和2年2月号

Q:「助け合いの精神」を大切にしたい

 私自身も高齢になりましたが、近隣の独居老人の方への声かけをはじめ、今でもボランティア活動にいそしんでいます。ところが最近は、訪問しても「放っておいてほしい」と冷たく断られたり、町内で火災があった際も近隣世帯からのお見舞いの話がまとまらなかったりと、ボランティアも難しい世の中になったことを感じています。「助け合いの精神」が忘れられつつある世の中に、やるせなさを感じてしまいます。
(70代・女性)

A:相手の人格を尊重する精神で

 隣近所の一人暮らしの方への声かけや支援活動などに励んでいるものの、皆で助け合おうという意識が浸透せず、一人心を痛めておられる様子が伝わってきます。隣近所との温かいお付き合いがあった昔とは様変わりし、人間関係が希薄になってきていることを憂えるあなたの思いには共感します。
 都市型の生活の浸透や「個人の自由」が優先される風潮の影響でしょうか。親子や家族の間でも遠慮をし、お互いに許し合い、助け合い、支え合うことが難しくなっているようです。まして他人に対し、好意よりも警戒感を抱きつつ接する人が増えるのは無理もないことでしょう。自分の内面を見られたくはない、懸命に生きている自分をさらけ出せるほど強くもなければ親しい人でもないということになると、どうしても「あまり他人とかかわりたくはない」と思ってしまう気持ちも分かるような気がします。
 とはいえ、いざというときのことを考えると、行政などの公の力に期待するのは限界があります。個人個人で置かれた状況も異なれば必要とする支援も異なるわけですから、民間のボランティアの協力なしには対応しきれません。やはり助け合いの精神は不可欠でしょう。
 しかし、助け合いやボランティアの精神の必要性を説くだけでは、この問題は解決しないようです。私たちは個人の自由を尊重するだけでなく、もっと「家庭の一員として、国家の一員としての自分の責任」についての認識を深めていく必要があるのではないでしょうか。
 個々人の「自分らしい生き方」とは、もちろん自分自身でつくるものです。まずは個人が精いっぱいの努力をしながらも、自分一人の力で乗り切れない事態に直面している人に対しては周囲の皆で手を差し伸べる。そうした場合も、さまざまな試練を乗り越えて今ここにいる代理不可能な一人ひとりに対して、尊敬と感謝とねぎらいをもって接したいものです。
 付き合いが悪いからとか、寂しそうにしているからとか、一人で住んでいるからといった表面的なことや、その場の気分でかかわり方を決めるのではありません。同じ時代に生き、そこでのさまざまな課題を共に解決していこうとする仲間として、敬意を持って接するのです。
 孤独のすべてが悪いわけではありません。ただ、人は病や死という孤独に立ち向かうべく、お互いを支え合うのだという自覚のうえにボランティアの精神を充実させる必要がありましょう。一人ひとりへの愛情と尊敬を抱きつつ助け合うこと、それは相手の人格と人生全体を肯定し、「弱い傷だらけの自分」をさらしているお互いへの共感のうえに成り立つものではないかと感じるのですが、いかがでしょうか。どうか強い心で仲間をつくっていってください。

 

令和2年1月号

Q:引きこもりの息子とどう向き合うか

 40代後半の息子と私たち夫婦の3人暮らしです。息子は大学卒業後、なかなか職場に恵まれず、転職を繰り返すうちに挫折してしまったようで、近年は仕事もせず、引きこもりのような状態になっています。暴力を振るうことはないまでも、イライラすると大きな声を出すことがあり、どのように接したらよいか分かりません。夫も80に手が届く年齢で、今後のことを思うと、途方に暮れるばかりです。
(70代・女性)

A:社会のケアの力を借りて

 40代後半の息子さんが引きこもりの状態で、同居の自分たちも高齢になり、どのように接していけばよいかと途方に暮れる気持ちはよく分かります。
 今日では子供から大人まで、うつ病や引きこもりに悩んでいる方が多くおられ、それが日本の活力や労働力不足につながっているともいわれます。物質的には豊かな国と思える日本で暮らしていながら、なんらかの原因で心が折れ、生きる目標を見失い、漠然とした時代の空気の中で自分を取り戻すきっかけが見つけられない。挫折の原因も多様であいまいなだけに、特定の解決法があるわけでもなく、行政や社会福祉関係者が対応を模索しているというのが実情のようです。
「本人の考え方や気持ちが変われば……」といわれることもありますが、事はそれほど簡単ではないようです。対応する専門家も時間をかけ、一歩家の外に出させることにも粘り強く、何か月も試行錯誤を繰り返しつつ取り組んでいるようです。当人がなんとかしたいと思っていても、思うようにいかず、長引けば長引くほど状況が悪化し、改善が難しくなっているようです。
 人の意識や行動が活性化されるには、愛情というプラスのエネルギーが心に蓄積される必要があります。当人が自分で心を開こうとするきっかけが得られるような機会を、慎重に粘り強くつくっていくというケア以外に道はないのが現状でしょう。ご両親には、ご子息の負担にならないように見守り、共に粘り強く生きることを心がけるとともに、自分自身の心のケアのためにも、同じ悩みを抱える仲間との語らいの場に参加されることをお勧めします。
 この状態が長く続いているようですから、これまでにも専門の医師やカウンセラーと相談され、対処してこられたと思われます。たとえ当人が専門医にかかることを拒む場合でも、両親が近況報告などに心がけ、相談し、アドバイスをもらうなど、親としてのあり方や将来への対策などについて考える機会をつくっておくことが大切でしょう。
 民間の機関でも、当人の働き方や財産管理などを含め、さまざまな分野の専門家の協力を得て相談に応じるという体制づくりが進んでいるようです。今回のような事例には、家族でサポートしていくという気持ちは大切ですが、家族の力だけでできることには限界があると心得ましょう。そして、このような明確な答えを出しにくい問題に対する対策は、将来的に起こりうる事態に対し、いかに自分たちの考えや態度を定めておくかが大切であって、決して過度な不安を抱いて右往左往することではないことを心したいものです。
 1日1日、厳しい状況の中にも大らかに生きたいものです。

 

令和元年12月号

Q:現状を前向きに受けとめるには

 同居の義母と自閉症の長男、近くに住む私の両親の暮らしを夫と2人で長年支えてきましたが、最近、夫が進行性の難病と診断されました。これまで必要に応じて遠方に住むきょうだいや独立した子供にも協力を求めてきましたし、介護サービスもありがたく利用させていただいていますが、サービスの利用は経済的に限度があり、自分の体力にも不安があります。感謝の気持ちで日々を送るように努力はしていますが、現状を前向きに受けとめるにはどうしたらよいのでしょうか。
(60代・女性)

A:今こそ生きる意味を考えるとき

 高齢の両親の介護に加え、自閉症の長男、さらには協力者であったご主人の難病と、あなたの肩にかかっている責務の大きさは、よく分かります。これまでもきょうだいや子供たちと相談し、協力を求めてきたということですから、介護サービスの利用者負担などに関しても協力を得ておられるのでしょう。
 しかし、皆の前向きな協力が得られても、ご主人の病気により発生した孤立感とこの先への不安は大きなものでしょう。どこまで耐えられるかといった体力や気力についての不安、経済上の不安、さらには日常生活の中で起きる感情のやりどころのなさなども、一番近くにいて分かち合ってきたご主人です。寂しく弱気になるあなたの気持ちも分かります。
 人生の後半に向けて、現状が好転していく可能性が少ない状況の中で、どのように自分の心を前向きにさせるか、どこに目標を定めて生きていけばよいのか。ここはまさに自分の生きていく原点を問われる窮地に立たされているように感じます。
 ここはあなたの踏ん張りどころ。あらためて自分の、そして夫との人生にどのような意味を与えるかを考えるときです。あなたは父や母、夫や子供と、どのような家庭を実現しようと考えてこられましたか。生活信条はなんでしたか。父や母から受け継いだこと、「このような考えを大切にして生きていきなさいよ」と教えられたことはありませんか。
 私は両親から、学ぶことの大切さを教えられました。偉人に学ぶ、先人に学ぶ、他人に学ぶ等々、学ぶ対象も学ぶ領域も学ぶときも、限りなく広く無限です。新しい環境に出会うたびに新しい自分に挑戦し、学んでいくものだと教えられました。
 人生には、いくつになっても新しい課題が起こってくるものです。そうした諸課題を、素直に謙虚に受けとめて生きていくところに、人間の尊さを感じています。
 現実に起きてくる喜ばしいことやうれしくないことに、一人で有頂天になったり落ち込んだりすることなく、素直に受けとめる。すべてに感謝はできないまでも、他人とのつながりの中に、自分にできる最大限の義務を果たす。そんな覚悟ができればいいなと考えます。
 あなたが今の現実にどのような意味を与えるかは、あなたの意志と決断にかかっています。他人にはつらい現状に見えても、自分と家族の尊厳を守るために、強く美しく生きていくことを心がけてください。きっとあなたの人生は無意味なものではなく、あなたの周りの人にも、生きることの尊さや喜びを伝えることになるでしょう。今与えられている現状は、自分が蓄えてきた叡智と強い心を発揮する最善の機会なのだと受けとめてくださることを祈っています。

 

令和元年11月号

Q:隣家との関係に悩む

 隣家の老夫婦との関係に長年悩まされてきました。そのお宅では猫を放し飼いにされているようで、糞尿に困っていることをお伝えしたところ、敵視されるようになってしまいました。年齢を重ねるほどにひどくなってきているようで、いやがらせのような行為を受けることもあります。仕返しをしたいという思いはまったくなく、人の心の痛みを知っていただきたいという思いだけなのですが、そう願うのはいけないことでしょうか。
(50代・女性)

A:誠意をもってもう一度

 隣家の老夫婦とのトラブルに心を痛めておられるようです。猫の放し飼いにまつわる問題は、動物への愛着の持ちようによって感じ方が変わるものでしょうが、あなたが困っていることを隣家の老夫婦には理解してもらえず、長年悩んでこられた気持ちもよく分かります。
 少子高齢化が進む昨今、動物との同居を心のよりどころにしている方もおられることでしょう。一方では、自分で動物を飼おうとは思わないし、飼っている人に対しても「他人に迷惑をかけることは御免だ」と、自己管理を求める方もおられます。動物を飼う・飼わないは、好き嫌いの感情の問題であるだけに、感覚的に対立しやすい一面もありそうです。
 冷静に考えてみると、お互いの生活空間を侵すことなく、助け合いながら、安心と快適さを分かち合えるような付き合いを、誰もが望んでいるはずです。しかし今、都市化や核家族化が進む中で、隣人への不信、他人への敵対的感情、自己正当化というマイナス感情が増大して、相手の気持ちや立場を思いやり、許し合うという心のゆとりが失われつつあるようです。あなたにもその影響が及んでいないか、今一度、見つめていただきたいと願っています。
 一人ひとりが高齢になったときのことを考えても、隣近所との親しいお付き合いや助け合いは、お互いに安心と喜びを実現していくうえで不可欠ではないでしょうか。
 ここはあなたに、より賢明でより深い人間性を発揮していただきたいと念います。心の痛みを分かってもらいたいというあなたの思いは理解できますが、隣家の老夫婦の側に心の余裕がないと思われる現状では、あなたが「正義の立場」にとどまる限り、お互いに傷つけ合うばかりです。
 正しいと思える側が一歩引いて道を譲る。健康な人が弱った方のお手伝いをする。分かっている人が相手の足りないところを補い、カバーする……。そうしたことの大切さは、お互いに分かっていても、実行するには大きな勇気が必要です。
 世の中が物質的には豊かで便利になっても、社会に潤いをもたらすのは、やはり心の痛みや喜びを共有できる家族や隣人とのつながりです。
 できれば、あなたがもう一度歩み寄って、相手を非難する心ではなく、「自分の気持ちをうまく伝えられずに、今日まで不快な気持ちを味わわせてしまった」という思いで語りかけることです。相手がどう受けとめるかではなく、まず、あなた自身が強く美しい、清い心で。その心がけと実行が、隣人の心をも美しくしていくのだと信じています。

 

令和元年10月号

Q:子育てと家事、どう向き合うか

 出張が多く多忙な夫と1歳の娘との3人暮らしです。先日、夫の母親が自宅へ遊びに来た際、家の中が片付いていないことを指摘されました。私も反省し、もう少しきれいにしようと思ったのですが、いざ掃除を始めると、娘は片付けたそばから散らかしていくので、思うようにはかどりません。仕方なくベビーベッドに入れたところ号泣し、やがて泣き疲れて寝てしまいました。娘の心を傷つけているのではないかと思い、自己嫌悪に陥っています。
(20代・女性)

A:子育ては自分育てです

 多忙な夫と1歳の子供との3人暮らしで、日々子育てや家事に奮闘されている様子が伝わってきます。また、様子をうかがいに来られた夫のお母さんの指摘に反省し、努力される素直さが感じられます。掃除中も思うようにいかない娘のふるまいに心を痛め、泣かせてしまったことで自己嫌悪に陥るあなたは、優しい性格のようです。
 子育てというものは、誰が何度経験しても、その都度変わる子供の反応には完璧に対応できるものではありません。まずは深刻になりすぎないように心がけましょう。
 家庭の状況、子供の様子、家族の協力、当事者の性格など事情はさまざまですが、1人で子育てを担わなければならないとすれば、たいていのお母さんはパニックに陥ることでしょう。したがって、自分が失敗しても温かく見守ってくれる家族や周囲の存在は重要です。夫やお母さんを味方につけ、明るく朗らかに、なんでも相談できる和らいだ関係をつくっていきたいものです。
 何事によらず、人は「自分1人で取り組んでいる」と感じるときは、孤独で被害者的な感情に陥りやすいものです。夫のお母さんの指摘も、素直に受けとめることは大切ですが、「自分の気にしているところを指摘された」と反省するだけでなく、明るく感謝しつつ、お母さんとの信頼関係をつくるように心がけていくことをお勧めします。
 私が大切にしたいと考えることは、あなたが少々の失敗をしても、あなたの子育てへの努力を見守り、受け入れ、励ましてくれる夫や家族との好意的な関係を築き、喜びと感謝の言葉をたくさん発信できるような「自分育て」をすることです。
 子育ての中で、自分の心にわいてくる思いには、愛情や「健やかに育つように」という祈りばかりでなく、言うことを聞いてくれず、意に添わない子供のふるまいに、いら立ったり、反省したりの繰り返しでしょう。その自然な感情は肯定的に受けとめましょう。そして一時の感情から子供に対して声を荒げたり、危害を加えるといった考えや行為に走らない限り、母親としての対応に自信を持って、温かくも厳しく育んでいかれればいいのではないかと考えます。
 子育ての専門書やアドバイスは参考にしながらも、私が一番大切に思うことは、子育てに奮闘する母親が孤立することなく、精神的に安心と安定が感じられるような家庭をつくることです。そのためには、まず夫婦の間に信頼と尊敬と愛情を育むことが、何よりも大切なことです。忙しい夫や母親をも味方につける自分になることは、子育てを後押ししてもらうためだけでなく、あなた自身の「自分育て」につながることになると考えてみてください。

 

令和元年9月号

Q:見捨てられることへの不安

 子供のころから「いい子でいなければ愛してもらえない」といった思いが強く、ずっと「自分は見捨てられるのではないか」という不安を抱えてきました。そのため、友人や恋人との距離感もうまくつかむことができず、メールの返信がすぐに来ないだけで不安になったり、相手の意に沿えるようにと必要以上に頑張ったりしてしまいます。この不安を、どうすれば克服できるでしょうか。
(30代・女性)

A:強い自分に挑戦してください

 子供のころから「いい子でいなければ見捨てられるのではないか」という不安を抱えてきたために、日常の会話やメールのやり取りにも神経をすり減らしているようです。そんな自分を変えたいと願っておられる気持ちが伝わってきます。
 まず、あなたが抱かれている気持ちは、素直に幼少期を送ってきた人がたいてい一度は通らねばならない道だと理解しましょう。人が成長していくうえで、親や年長者の意見を素直に受け入れることは、大切な生活態度と考えるからです。
 一般に「いい子でいなければ」という思いは、他人から認められたいという承認の欲求に基づくもので、大なり小なり誰の意識の中にもあり、人間の向上心につながっています。それは尊重される人間になりたいとか、他人や社会の役に立てるようにという気持ちの原動力だからです。しかし、幼少期のいい子であろうとする努力が適切に評価されず、親や他人から無視されたり拒否されたりすると、無意識的に「もっといい子にならなくては」と思い、相手からの評価に過度に反応して、自分を見失ってしまうのです。
 人は年齢とともに「他人は他人、私は私」と、一人ひとりの考え方や立場の違いを客観的に理解できるようになり、「時には『いい子』でなくてもいい」ということも学ぶのです。とはいえ、人は社会的動物ですから、たいていの場合は相手に認められ、好感を待たれるようにふるまっているわけで、その思いの強さは人それぞれです。
 ここで、あなたの意識を変える道を考えてみましょう。まず「いい子でいなければ」という意識の背後にある、「他人に認められたい」という気持ちを見つめ直しましょう。その気持ちを自覚しながらも、相手の評価を気にせずに、主体性と責任感を持って生きていく意志を固めるのです。中国の古典に「徳は孤ならず」(『論語』)とあります。人として正しい生き方に徹すれば、必ず理解者が現れると考えてください。他人の評価を気にして生きるのではなく「自分の人生の主役は自分だ」と考えることです。
 次に「見捨てられたらどうしよう」という意識を克服しましょう。他人に見捨てられることは、確かにつらいことです。しかし人生は味わい深いもので、思いがけず見捨てられてしまうこともあるかもしれませんが、「捨てる神あれば拾う神あり」で、試練の中でも持ちこたえていると、誰かが見守っているものです。ですから、他人に期待するのではなく、「自分は人を見捨てない」という思いを胸に、失敗を恐れず、明るく強い気持ちで生きるのです。
 考え方や気持ちを急に変えるのは難しいことですが、人生は自分への挑戦です。どうか一日一日を大切に。

 

令和元年8月号

Q:「善意の意見」が煩わしい

 家電の買い換えを検討していた際、その方面に詳しい友人に何げなく話をしたところ、あれこれと新製品の情報をくれるようになりました。結局、友人の勧めるものは自分の用途に合わず、別のものを購入したのですが、「これは性能がよくないよ」「あっちのほうがよかったのに」と何度も言われて不快な気持ちになり、最近はその友人と少し距離を置いています。善意の意見とはいえ、あまり押しつけがましいのもどうかと思うのですが。
(30代・男性)

A:友人を真の友にできるか

 友人に何げなく相談したところ、押しつけと感じるほどのアドバイスを受けて困り果て、少し距離を置いて付き合うしかないと考えられたようです。でも、何かすっきりしないところがあるように感じられます。
 私たちは「自分の思いと相手の思いが少し違っているな」と感じるような場面にしばしば出くわします。たいていは曖昧なまま流してしまうのですが、今回のように気になることもあるでしょう。あなたは友人のことを「善意の押しつけ」と受けとめておられるようですが、友人はそうは思っていないのかもしれません。自分の趣味や得意としている分野のこととなると、相手の意向や思いを気にかけることなく自分の思いをまくし立ててしまうというのは、よくあることだからです。
 あなたは友人の熱心な態度を押しつけと感じ、自分の気持ちを伝えもせずに縁を絶とうとしていることに、少し後味の悪さを感じておられるのではありませんか。あなたにも友人と同じように「この人にはなんでも語れる。でも、あの人には語れない」「あの人に失礼なことはできないが、この人には多少押しつけがましい態度でも許される」と感じる関係があるのを思い起こされるでしょう。
 人間の好悪・善悪の感じ方や考え方は、その人の個性のようなものですから、そのこと自体を頭ごなしに否定できないということが分かっていても、私たちはどうしても自分の考えを正当化する傾向があります。だからこそ、「親しき仲にも礼儀あり」という教えが大切にされてきたのでしょう。しかしあなたの友人は、自分の思いを率直に語るのが当たり前の日常生活に慣れておられるのでしょう。
 私たちは「親しい友人だから」となると、相手も自分と同じようにふるまってくれるものと期待して、イエス・ノーをはっきり言うことを躊躇してしまうところがあります。自分の意見をはっきり言って相手と対立するよりは、相手と距離を置いて、結局離別してしまうこともあるようです。
 しかし、どんな人も尊重されるべき、かけがえのない存在です。好いところもあれば嫌なところもあるお互いです。相手に自分の心を察してくれることを期待するだけでは、うまくいきません。相手を思いやる心づかいは大切にしながら、相手の善意の言動にも迷惑だと感じたら、相手を傷つけることなくその好意をお断りできるだけの表現力を身につける必要があると考えます。
 さまざまな人間関係の中で自分の心にわいてくるさまざまな感情を美しく表現する力をつけることは、私たちの生涯を豊かにします。これを機に、友情が深まることを祈っています。

 

令和元年7月号

Q:せっかくの仲間なのに

 長年所属しているボランティアサークルで、ちょっとした仲間の言動に心を痛めているという話を聞くことが多くなりました。第三者の立場で見ていると、多少のことは目をつぶったり、聞き流したりしてもいいのではないかとも思うのですが……。もちろん相性もあると思いますが、仲間同士で傷つけ合っているのを見ると、とても残念に思います。何かいいアドバイスはないでしょうか。
(60代・女性)

A:痛みを成長の機会に

  私たちの生活は、人間関係に尽きるといってもいいかもしれません。その人間関係を円滑に運ぶことは難しく、出会う人すべてと親しく交わることができる人は、きわめて稀でしょう。
 しかし、人間関係の難しさはまことに微妙で、複雑で、面倒であるからこそ、そこに「人生の喜怒哀楽」と「人間としての成長」という妙味があるともいえましょう。
 ボランティアサークルの仲間同士、同じ思いで社会貢献をめざしているはずなのに、意見の対立がエスカレートし、感情的な対立にまで発展するというのは、なんとも残念なことです。同じように、身近な家庭の夫婦・親子問題から、隣近所のお付き合い、学校や職場における諸問題、さらには国家間の平和実現への苦闘に至るまで、私たちは絶えず闘争の中にいるかに見えます。
 私たちは、自分を取り巻く世界の中で、経験や知識、さらには立場・役割の相違によって、さまざまな思いや考えを抱きつつ過ごしています。「夫婦だから、同士だから」と気を許していても、相手は自分と同じではありません。したがって、異なる意見にも耳を傾けていこうとする寛大さ、時に対立することがあっても建設的に合意形成に努めようとする理性と感性のバランス、共に社会的役割を果たそうとする責任意識が成熟していなければ、人間関係はすぐに壊れてしまいます。
 私たちは自分の考えや意見にこだわり、自分を絶対化してしまうところがありますが、そこで悲しみや苦悩・痛みを味わって、その都度反省に反省を繰り返すことで、他の人々との「共生と共感」に導かれ、生かされている存在であるということに気づいていくようです。
 その対立が軽い感情的な行き違いだけで、サークルの活動に大きな影響がないとすれば、当事者同士の問題として、立ち入らずに見守っておくことも大切でしょう。お互いが気づくまで静観し、待つというのも思いやりです。しかし、当事者同士の問題を超えた大きな対立に発展しそうな場合には、同じメンバーとして「必ず道はある」との強い信念をもって、正義と思いやりの立場から、本音で、しかしお互いの心に傷を残さないように、粘り強く解決に導く努力が必要でしょう。
「他人の振り見てわが振り直せ」ということわざがありますが、人は他人の態度・ふるまいを見て、自分の言動や感情に冷静な反省を加え、成長していくものです。人間関係に尊敬と信頼の精神が流れていないと、人は自分にとらわれてしまうようです。他人のことを自分のことのように大切に、他人の邪を破らずに誠意をもって接する、これが自他の成長と共存の原点のように思えるのです。

 

令和元年6月号

Q:父母亡き後の供養と親戚付き合い

 自分自身も高齢の域になり、親祖先を思うことが多くなりました。自分と夫の実家には、毎回のお墓参りはかなわないまでも、父母の命日やお盆のお供えを欠かしたことはありません。そうした際、本家の供養の心貧しさに悲しくなることがあります。両家ともお金に困っているわけではないので、理解してもらえるように心を砕いてきましたが、拒否され、父母亡き後は疎遠になっています。今後、どのように付き合っていけばよいでしょうか。
(70代・女性)

A:粘り強く本家を立てて

 高齢になるにつれ、自分たちのいのちの尊さや先行きについて考えることが多くなるからでしょうか、おのずと親祖先を思うことが多くなりますね。あなた方夫婦が健康で、それぞれの父母の命日やお盆に供養ができる状態にあるというのは、ありがたいことです。まずは今日までの人生すべてに感謝したいですね。
 そして父母亡き後、兄弟姉妹とうまく心が通っていないことについては、まずあなた方が「実家のきょうだいに安心と感謝とねぎらいを届ける気持ちが足りなかったのではないか」と振り返ってみてください。「兄弟常に合わず、慈悲を兄弟となす」という教えがありますが、それは「血の通ったきょうだいでも、相手への感謝と思いやりがなければ、お互いの心はバラバラになるものだ」という戒めのようです。
 精神的なゆとりがないと、他人の忠告にも快く耳を貸すことができず、結果的には「放っておいてくれ」といった否定的な気持ちになるものです。あなた方は、今まで幾度となく心を尽くして自分たちの気持ちを伝えてこられたのでしょうが、相手の心には通じていないようです。あなた方の心に「相手に対する要求心」があるとすれば、その気持ちを浄化されるように、そして相手の心に安心が生まれるように工夫したいものです。
 あなた方の供養の気持ちと、親戚付き合いを円滑にしていきたいという気持ちは、とても大切なことです。将来、あなた方自身のお墓をどのようにしていくかという問題も含めて、親や祖先が喜んでくれるように、本家のきょうだいに相談するチャンスが来ていると考えてはいかがでしょうか。
 実家との距離が遠ければ、自分たちで独自に考えることにもなるのでしょうが、その場合でも本家と相談して進めていくくらいの尊重心が大切でしょう。供養に対する意識や考え方の違いにこだわるのではなく、本家の苦労を思いやり、その立場を尊重しつつ、自分たちの墓地や今後の付き合いについても丁寧に話し合い、理解し合うように努めてください。
 昨今は葬儀や墓地など、祖先の祀り方に関しては多種多様で、私たちの思いを先取りした業者が工夫を凝らし、ニーズに合わせた方法が提示されている時代です。業者に振り回されるのではなく、お寺の住職さんとも相談し、このことを通して、きょうだいの心が親しく一つになれるように進めてください。
 お墓は先祖を祀るためにあるのですが、それ以上に、同じ先祖につながる子供たちを感謝の心でつないでくれるものでもあります。家族の「いのちのつながり」を実感させてくれる神聖な場所として共有できれば、きっと喜びの多い家族の文化ができるのではないでしょうか。どうか、きょうだい仲よく。

 

令和元年5月号

 

 

平成31年以前

平成31年以前

Q:リーダーについていけない

PTAの役員仲間で、突出したリーダーシップを発揮するママ友がいます。定例の行事もよりよく変えるためにどんどん意見を出し、率先して動きつつ皆を引っ張ってくれるので、尊敬する反面、ついていくのが大変なときもあります。役員は毎年入れ替わるため、その人がいないと成り立たないような形をつくってしまうと、後々難しくなると思うのですが……。「それは難しいと思う」「私にはできない」等の意見を言う必要も感じ始めていますが、和を乱すようで気が引けます。
(30代・女性)

A:楽しい対話の雰囲気を創ろう

発言力も統率力もあり尊敬できる人とは思えるものの、PTA活動の継続性を考えると少し唐突かと感じることもあり、異見を述べる必要を感じながらも、役員同士の和を乱さないようにと、一人で気をもんでおられるようです。
強いリーダーシップの持ち主は、時として自己主張が強すぎて、他人の意見を受け入れる包容力に欠け、仲間とのバランスを崩してしまうことがありますね。相手が冷静な提案をしてきたとしても、自分の考えに固執しているときは、人格までも否定されたかのように思えて、感情的になり、皆の対話ムードを壊してしまうことがあります。
しかし最近は、PTA活動にしても各種ボランティア活動にしても、「長いものには巻かれろ」といったリーダー任せの会議や組織運営は好まれなくなっているように思います。「互いの意見を尊重する」という人間関係が重んじられるようになってきたと思うのですが、どうでしょうか。
私たち島国育ちの日本人は、異文化体験を経験する機会が少なかった分、「異なる意見を持つ人との接し方」にも習熟していないようです。身内でのおしゃべりが好きなわりには、見知らぬ人の異見に触れたとたん、気弱になって身を引いたり、相手を否定したりして、冷静に自分の意見を述べて議論をし、よりよい共通の結論を創り上げていくという態度が育っていないようです。あなたもママ友も、そのような傾向があるのではありませんか。
少し固い表現になるかもしれませんが、日本人は自然災害などの際は事態を冷静に受けとめ、周囲の人たちと共に現状を改善していこうと忍耐強く努力する特性はあるのですが、こと人間関係の問題になると、そうもいかないようです。議論してくる人を嫌い、相手の意見を冷静・客観的に受けとめ語り合うことができない人が多いようです。したがって、お互いの人格を尊重して他人の意見を真摯に受けとめ、自分の意見もまた誠意をもって伝えるという、対話の原則を守ることを意識する必要がありましょう。
国際化の時代です。歴史や文化の異なる人と接するときは、習慣の違いに戸惑うことも増えるでしょう。身近な人間関係においても、一人ひとりの置かれた環境が異なれば、異なる意見が生まれてくるのは当たり前です。難しいでしょうが、相手を尊敬し、勇気を出して、失敗を恐れることなく対話を試みてください。ポイントは、相手の欠点を指摘するのではなく、建設的に対話を楽しむこと。相手の自発性を尊重しつつ、相互理解の喜びの世界を実現できるよう、粘り強く努力することです。それがお互いの成長につながると信じて。
平成31年4月号

Q:生きがいを見つけたい

10年前に離婚をしました。当時は高校生と大学生だった息子たちも、今ではそれぞれ社会人として活躍しています。私は病気をしたこともあって、週3日のパートの仕事だけで生活しており、お盆とお正月に息子たちに会うことだけが生きがいです。しかし、いつまでも息子のことばかり考えていても仕方がないと思い、最近、近所でボランティアを始めました。今後、何を目標に生きていったらよいのか、アドバイスをお願いします。
(50代・女性)

A:生きがいはあなたの足下にありそうです

苦労して育てられた二人の息子さんは独立し、親元から離れて生活されている様子です。母親としての役割も一段落したあなたは、週3回のパートの仕事で生計を立てつつ、盆と正月に帰省する息子たちを迎えるのが生きがいとのことです。一方、いつまでもそればかりではいけないと、ボランティアを始めるなど、自分の生き方を模索しておられる姿に共感を覚えます。
離れて暮らす家族一人ひとりの行く末を考えると、これでいいのかと一抹の不安を抱かれる気持ちもよく分かります。息子たちのことは、自分の能力を発揮して自由に生きたらいいと思うものの、家族で互いの思いを通わせて、共感できる関係を築けたらというのが親の願いでしょう。この「自立を願いつつも、共感し合える関係を築きたい」という気持ちは、誰もが抱える悩みといえましょう。
子供たちのことを案じる親の思いは、子供にとっては励みになることもあれば、負担に感じられることもあります。だからこそ、あなたもどのように接し、過ごしたらいいのか悩まれるのでしょう。
個人主義的な考えが蔓延している社会ですから、「そんなことで悩んでいないで、自分のことだけを考えたらいいのよ」という人もあるでしょうが、私には、あなたの悩みはとても大切なことだと思えます。簡単に答えの出せる問題ではないのですが、大切なポイントは、親子の絆という「つながりの実感」にかかわる問題は、自分一人で悩み、考えているだけでは解決しないということです。
まず、あなたが子供に負担をかけまいと自立し、自分にできる社会貢献に挑戦しつつ、前向きに過ごされている姿勢はすばらしいと思います。その姿は、きっと息子さんたちにとっても心の励みとなり、人生への応援歌になっていることでしょう。
あなたの今後の人生の目標について、具体的にアドバイスすることはできませんが、まずは健康など、日ごろ当たり前に思っている物事に感謝しつつ過ごしたいものです。そして自分の身の回りを整え、やるべき日課を果たし、子供たちを信頼してその努力に思いをはせつつ、無事を祈ること。そんな繰り返しの中で、折々に子供たちを励ましつつ、人生への強い肯定感を持って、明るく過ごされればよいのではないでしょうか。
「光陰矢の如し」で、自分の生活と仕事に夢中になっている息子さんたちは、時の流れに翻弄されていることもあるでしょうから、家族で近況を報告し合える環境をつくることを忘れないでください。不安な気持ちでおせっかいをするのではなく、息子さんたちが自分の人生設計を間違えないよう、折々の近況報告の中にねぎらいと感謝を忘れず、お互いの自立と共感の心を深めていかれることをお勧めします。
平成31年3月号

Q:周囲から聞こえる「話し声」が不快

時折、1人でカフェに出かけて読書を楽しむのですが、周囲から聞こえる話し声で不快な気分になることがあります。それは2人で会話をしているはずなのに、そのうち1人が一方的に話しているときです。相手は相づちを打っているようですが、コメントを挟もうとしてもそれを遮るようにまた話し出すので、会話が成立しているように思えません。その人特有のイントネーションも繰り返し聞かされると耳障りです。「聞き上手」だけでなく不快感を与えない話し方も大切と思うのですが。
(40代・女性)

A:不快な気持ちを、自分の成長の糧に

1人でカフェに行って読書を楽しんでおられるのに、ほかのテーブルの会話が気になるとのことです。あなたがおっしゃるように、日ごろの会話や談笑の場で、他者への配慮を欠いた一方的な言動に不快感を抱きつつ、なんとかならないものかと心を痛める場面に出くわすことがよくあります。対等であるはずの会話が一方的で、話す人の無神経さが気に障ることもあれば、強い立場の人による相手の意向を無視したふるまいに、不信感を覚えることもあるでしょう。そうしたことは、人間関係にはつきものといってもよいかもしれません。
公然とした暴力や迷惑行為を目にしたのであれば、第三者が割って入ることも可能でしょうが、親しい間柄の他人の会話にたまたま出会ったという程度では、簡単に口を挟むわけにもいきません。他人のことを気にせず、心の平静を保って見守れるようになるためには、忍耐力や平常心を身につける努力が必要になりますね。
ここで大切なことは「人は自分の態度の不適切さに気づくまでに、何度も失敗や恥ずかしい思いを経験するものだ」ということを自覚する必要があります。正しい考えや、相手に接する際の公正な態度、その場に応じた適切なふるまいは、無反省・無自覚に生活しているだけで身につくものではないからです。
人は、他人を傷つけたり傷つけられたり、快や不快を与えたり与えられたり、喜びをもらったり与えたり、痛みを与えたり与えられたりして、喜怒哀楽を味わう中で、自分のふるまいの善し悪しを反省しつつ、成長していくものです。どのようなふるまいがふさわしいかを誰からも教えられることなく育った場合、共感性のある情理円満な人柄に育つことは難しいでしょう。人間関係の中で失敗を経験したり痛みを味わったりすることによって、自分を振り返り、思いやりのある人間に成長することができるのでしょう。
あなたが今回のような場面に遭遇して、他人の無作法が気になるということは大切なことですが、これは、誰かがあなたに「こうした無礼なことをしてはならないよ」と教え導いてくれたおかげであると受けとめましょう。
他人の不快な態度が気になったとしても、相手の欠点をすぐになんとかしたいと考えるのではなく、そんな相手をも否定することなく、冷静に受けとめてゆっくりと見守りましょう。そして少しずつ、自分の心を強く美しくしていくという訓練をするよう心がけてください。きっとあなた自身にも学ぶことがあり、違った人間世界が見えてくるのではないかと考えています。
平成31年2月号

Q:「ご近所付き合い」に理解がない隣人

わが家で育てた無農薬の野菜をおすそ分けしようと思い、近所のお宅を訪ねたら「お返しはできませんので……」と言われました。古くからの付き合いではありませんが、同世代の女性で、特に生活に困っている様子もない方です。喜んでいただけたらと思っただけで、見返りを求めたわけでもないのに、やるせない気持ちになります。昔はちょっとした用事で訪ねても「お茶を飲んで行って」と言われるようなご近所付き合いがあった地域なのに、心の貧しさを感じてしまいます。
(70代・女性)

A:好意にも、心の美しさと粘り強さをもって

近所にお住まいの女性に野菜のおすそ分けをしようとしたところ、冷たく断られたようです。あなたとしては同世代でもあり、喜んでもらえるだろうという好意で伺われたのに、がっかりされた様子です。
最近では、人間関係が親密であった地域にも、都市型の「他人は他人、自分とは無関係」といった意識が広がり、他人に対する警戒心が強くなってきているようです。しかし、あなたは近所の人々と親しい関係を築きたいと考えられてのことですから、ここは相手の反応が期待に反したとはいえ、短慮に走ることなく、冷静に受けとめられるのが賢明でしょう。不完全な人間同士のこと、相手の方も後味の悪さを感じておられるかもしれません。決してこの経験から、あなた自身と地域社会の道徳性を下げることのないように心がけたいものです。
同一民族、同一文化の人間関係に慣れている日本人は、無意識的にお互いの親密さに甘え、相手の善意を期待するところがあるようです。特に家庭や近隣など、日常的に接する人たちとの間では、相手を無条件に信頼して、「こうあるものだ」「こうあるべきだ」という思い込みが多いようです。無条件に相手を受け入れるという態度は大切ですが、その期待が裏切られたとき、相手を否定したり、困った人だと考えたりしてしまうとすれば、それは一方的な「善意と悪意の押し付け」になることをわきまえておきたいものです。
現代社会では、一人ひとりの生き方や考え方、嗜好なども多様化し、個人差に配慮することが大切になっていますから、親しい人間関係を築き上げるにも、それなりの相手への配慮や粘り強さが必要であるといえそうです。他人を本当に信頼し、尊重するということは、当の相手との親密感を大切にしながらも、相手の立場や考えをどの程度理解しているかが問われます。親しくお付き合いするうえでは、相手のよい面だけを受け入れるのではなく、自分の意に添わない相手の言動に対しても、温かく対応できる粘り強さが必要であるということです。
誰とでも親しくなれるに越したことはないのですが、私たちは日ごろの挨拶一つからでも、すれ違ったときの態度やしぐさ、言葉がけの後味に、相手との信頼関係の深さや浅さを感じ取っているものです。あなた自身がお近づきになりたいと考えている相手であるとすれば、相手の反応が自分の予期に反する場合であったとしても、相手の立場を思いやり、自分を冷静に振り返りつつ、相手の態度を温かく受け入れるだけの包容力をもって臨みたいものです。
ここは少し時間をかけてでも、相手との心のつながりが味わえるように、粘り強く努力してくださることを希望します。
平成31年1月号

Q:職場の人間関係のストレスをためる息子

息子が地元の支社から東京本社に赴任して、1年がたちました。赴任した当初から、5歳上の上司とうまく付き合えていないような話を聞くことがありました。仕事のことは、親にはなかなか話さないのですが、最近はずいぶんストレスをためている様子で、心配しています。何かよいアドバイスはないでしょうか。
(60代・女性)

A:強い思いで祈り、見守ろう

ご子息が地元の支社から東京の本社に赴任して、人間関係に悩み、ストレスを抱えておられるようです。都会で一人ぼっちの息子さんに何かしてやれることはないか、なんとか励ましてやりたいと思案される気持ちが伝わってきます。
離れて暮らす子供がなんの問題もなく、元気でいてくれたらと願う親の気持ちは尊いことですが、親心とはいえ、親が心配しすぎることのないようにしたいものです。親の自信のなさが子供にうつり、弱気にさせてしまうことも、よくあるからです。ここは「息子さんの力を信じ、過度な心配をしない」ということを親心の中心に置き、息子さんの現状に、親としてどのような覚悟で対応する必要があるかを考えてみることにしましょう。
自立しようとする青年は、成長するにつれて親元から離れ、社会という大海原に一人で小船を漕ぎ出していきます。親の保護を頼りにできず、孤独に直面しながらも、社会の荒波の中で自分の能力をフルに発揮し、生存競争に立ち向かわなければならないのです。ご子息の理想が高ければ高いほど、そこで受ける試練の波は高くなることを覚悟しなければなりません。
あなたはご子息に、どのような人生を歩んでほしいと願って育ててこられたでしょうか。平凡でもいい、大事に遭うことなく結婚して、幸せな家庭を築いてくれればと思ってこられたことでしょう。しかし、それを実現するだけでも容易なことではありません。会社でも、実績を積んで責任を果たし、生きがいを感じられるようになるには、相応の試練にも直面するでしょう。その試練を、仲間や先輩、上司の力を借りつつ乗り越えていく体験を繰り返すうちに、人間的にも成長していくのです。
ご子息は今、とても大切な試練に直面していると考えてみたいものです。大海原で大小さまざまな船に乗る人々と協力し、限りない自然に挑みながら命を守り、家庭をつくり、社会に貢献しようと努めていると想像すれば、それを応援する親の側にもより強い心がわいてくるのではありませんか。
あなたも60代を迎えられ、数々の人生の荒波を乗り越え、人生の喜びや悲しみ、苦しみもかみしめてこられたことでしょう。ここはご子息に対しても、少々の試練や人間関係のトラブルはどこに行ってもあるものとわきまえて、相手を尊重しつつ上司の懐に飛び込み、自分にはない上司の美点に学ぶという謙虚さを失わずに持ちこたえることができるよう、祈りつつ優しく励ましてやる親の覚悟が大切でしょう。
時にはご子息に様子を聴いてやってください。甘やかしではない「親の真実の愛」は、子供にとって勇気のもとになるものです。
平成30年12月号

Q:孫が変わってくれることを信じたい

中学1年生の孫(男子)は、納得できないことがあると友だちに暴言を吐くなどして、学校からもたびたび注意を受けているようです。母親は心を痛めており、なぜそうした行動に走るのかを親子で話し合ったり、「相手を許すことも大切だよ」等、言い聞かせたりしているらしいのですが……。多感な時期のことではありますが、本人はどう受けとめているのでしょうか。早く思いやりの心の大切さに気づき、変わってくれることを信じたいのですが……。
(70代・女性)

A:お孫さんの心に寄り添って

中学1年生のお孫さんの乱暴なふるまいに、学校からもたびたび注意を受け、対応に悩んでおられるようです。穏やかで思いやりのある子供に成長してくれることを願っておられるあなたの気持ちがよく伝わってきます。
中学生といえば、お孫さんに限らず、自我の芽生えとともに自己主張がはっきりしてきて、相手の意見を冷静に受けとめることができない場面もよく見られる時期です。先生に対する暴言であれば少し深刻ですが、子供は友だちと一緒に、喜びや怒り、哀しみや楽しみを何度も何度も体験する中で、他人の思いに共感できる優しさを身につけていくものだと受けとめましょう。
共感力は、幼いころに置かれた環境に大きく影響されるといわれます。そのように考えますと、子供の態度や発言に行き過ぎがあっても、その子だけを責めるのではなく、家族をはじめとする周囲の大人たちとの関係の中で育まれたものと受けとめ、まずは反省しましょう。子供の態度を見て、親が子供に対する自分の言動を振り返ることから始めるのです。親が自分自身や子供の暴言を見過ごしてはいないでしょうか。「してはいけないこと」「しなくてはならないこと」は、身をもって学び合っていきましょう。
一方、人間はいくつになっても「自己中心性」から抜けきれないものです。お互いの反省は大切にしつつ、「人間は体や心の痛みを体験することなくして、自分の態度を改めることはできないものだ」ということを、身近に味わっていきましょう。
そして、ここは少し時間をかけても、家族みんなで粘り強く見守って、本人が自分の言動で相手を傷つけていること、そして自分自身をも傷つけていることに気づくのを待つことにしましょう。
善悪の判断にまだあいまいなところがあり、理性と感情のコントロールもうまくできない年ごろのお孫さんです。本人のそのときの気持ちや考えを無視して、頭ごなしに理屈で説得しようとすれば、お孫さんの心にあなたの願いは伝わらず、かえって自分の存在が否定されていると感じ、人間不信を深めてしまうことにもなりかねません。
昔から「他人の振り見てわが振り直せ」といわれます。これを機にお孫さんと心から語り合えるように、温かく正しさと柔和さをもって寄り添ってください。親や祖父母が子にできることは、子供を信じ、子供の成長を祈りつつ、共に悩みに付き合うことでしょう。多少時間がかかっても、子供は親の心に導かれて正しく育っていくものと信じます。
平成30年11月号

Q:意見が言えない職場に耐えられない

現在の上司(40歳・男性)は、若くして昇進しただけあって仕事はできるのですが、「自分のやっていることに間違いはない」という思いが強いのか、私たちスタッフの意見を一切聞き入れてくれません。よかれと思って言おうとしたことにも「言い訳はいいから」などと返されてしまうので、職場の雰囲気は最悪です。私もこの年になって「どんな仕事をするか」より「どんな人のもとで働くか」のほうが大きいということを思い知りました。最近では転職も考えています。
(40代・女性)

A:あなたの人間力を磨くチャンスに

年若くして昇進されただけあって有能な上司であるようですが、スタッフの意見を一切聞かず、よかれと思っての提案もむげに否定されてしまうとのこと。そのような職場には共に働く喜びが感じられず、むなしく思われ、果ては転職も考えられているようです。
どうにもならないと思えば転職もありでしょうが、職場における問題は、仕事上の問題であれ人間関係の問題であれ、お互いに不完全な人間同士の共同作業である限り、どこに行ってもなくならないものです。「自分は正しい、相手は分かっていない」という自己正当化が当たり前の職場には、他人を攻撃・非難する雰囲気が充満してしまいます。
今のあなたは、悩んだり抵抗したりする中で「上司が変わればいいのに」と考えておられるようですが、あなた自身も上司と同じ自己正当化に陥ってはいないでしょうか。「上司だけが悪い」という発想からは、なんの生産的な解決策も得られないと考えるのです。
どのような人も、今日までの生育環境の中で、無意識的にその人特有の性格や性癖、正義感や人間観を身につけています。それが社会生活の中で「自分と違う人間」に出会うことによって、苦い経験もしながら、正義と思いやりのバランスが取れてくるのです。そこから、相手を尊重し、自分と相手の立場や責任、互いの距離感などもわきまえたふるまいができるようになるのではないでしょうか。
40代は、まさに人生上の修行と鍛錬の真っ只中といえましょう。上司も未完成なら、あなたも未完成。したがって、ここであなたがどのような考え方で歩むのかが、あなた自身の今後を左右することになると考えます。私は「人間の喜びは、つながりや絆の中にある」と考えています。周囲の人たちとのつながりをどのようなものと考えるかが、あなたの態度や心構えが前向きになるか否かを左右すると考えるのです。
職場は自分を磨く道場です。「共に楽しく仕事をする場」と考えて、上司を毛嫌いするのではなく、相手のよいところに学び、尊敬しつつ、お互いの本音が語り合える職場をつくりたいものです。職場の雰囲気は一人で変えることはできませんが、少し時間をかけても、まずは毎日の挨拶や返事のしかたなどから見直して、上司を立てつつ、周囲の仲間と心を合わせて、尊敬と信頼の雰囲気をつくる取り組みを始めてみてください。きっと固い上司の心も、いつか穏やかに開かれてくるでしょう。
無意識にわいてくる日ごろの自分の感情を見つめ、対決する心ではなく、明るい信頼の心に向くように努めてください。敵対するような気持ちでいる限り、お互いの喜びも人間的な成長も得られないのですから。
平成30年10月号

Q:車の運転をやめるべきか

夫婦そろって80代になりました。子供は皆、仕事の都合で遠方にいますが、私たちは住み慣れた地元にとどまり、おかげさまで元気に過ごしています。ところが最近、子供たちから「運転免許を返納してほしい」と、やかましく言われるようになりました。私は長年無事故でやってきて、更新時の検査でも問題ないと言われていますし、車がなければ今の生活も成り立ちません。どうしたら分かってもらえるでしょうか。
(80代・男性)

A:不便さよりも家族の和を考えて

運転免許更新時の検査では問題はなく、生活上の必要もあって、車の運転はやめたくないと考えておられるようです。しかし子供たちは、離れて生活しているだけに心配なのでしょう。「免許を返納してほしい」とやかましく、どのようにすれば納得し合えるのかと悩んでおられるようです。
あなたにとっては車なしに生活することは難しいようですが、事故が起きてしまってからでは取り返しがつきません。どのように過ごすことが、自分にとっても子供たちとの関係においても平和であるのか、ここは自分の一方的な考えにとらわれるのではなく、少し冷静に、心に余裕を持って考えてみたいものです。
子供さんにしてみれば、最近多発している高齢者の自動車事故の報道を見聞きするたびに、心配になり、「そろそろ親父も運転をやめてくれたら」と考えるのが自然です。事故は起こしても巻き込まれても、当事者はもとより、家族や社会に多大な迷惑や不幸を生んでしまうものです。「少々の不便さはあっても、公共の交通機関やタクシーなどを利用してほしい」というのが本音でしょう。
しかしあなたは、「自分の責任は自分で取るよ」と思っておられるようですから、子供たちの言い分にすぐ従う気持ちにはなれないのでしょう。確かに車が使えなくなれば、単に不便というだけでなく、行動範囲が狭まったり時間に制約ができたりして、自由と楽しみが失われてしまいます。そうしたあなたの心情を「子供たちは十分に理解してくれていない」と思えるのかもしれません。
個人差がありますから一概にはいえないのですが、高齢になると、自分自身で体力の衰えを感じることも多いものです。視力や聴力、反応の機敏さなども衰えて、世の中のスピードについていけず、ふだんの生活でも不便を感じられることも多くなるでしょう。「より快適に、自分らしい生活を続けたい」という思いと、自分の身の回りに不安や危険が迫っているという現実に、どのように折り合いをつけるか。車の運転の問題は、その典型ともいえましょう。
『論語』に「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」(為政篇)という教訓があります。「自分がその都度やりたいと思うことをなしても、周囲との対立や衝突が起こらないようにふるまうことができる」というのが、孔子の晩年の境地です。私たちも高齢になったら少し自分の思いを抑えて子供たちの総意を尊重し、「つながり」を大切に、次の世代と共に感謝し育ち合えることを喜びとして生きていきたいものです。
車のある便利な生活を選ぶか、全体の安心につながる和を選ぶかはお任せします。自由と危険は隣り合わせ。あなたの賢明な判断を祈ります。
平成30年9月号

Q:好きなように生きる人生への罪悪感

結婚して5年の専業主婦です。夫婦2人の生活は自由になる時間もあって幸せです。仕事を持たない分、少しでも社会の役に立ちたいという思いはあるものの、いつも胸には罪悪感がわだかまっています。好きなように生きてきて、自分の人生に満足していますが、母には自分勝手だと言われてきました。姑の介護を20年続けた母に比べ、私は親のそばで老いに寄り添うこともせず、自分はどうしてこんなに冷たいのだろうと思うこともあります。この罪悪感とどう向き合えばよいでしょうか。
(40代・女性)

A:低い心で母親に感謝の言葉を

これまでの人生を思うままに生きることができ、幸せな結婚もして、今はゆとりの時間を使って社会の役に立つことをしたいと考え始めておられるようです。しかし、お母さんに「おまえは自分勝手だよ」と言われてきたことで、「自分は冷たい人間なんだ」という思いにさいなまれることもあるとのこと。新しい自分に挑戦したい気持ちはあるものの、まずはこの罪悪感にも似た気持ちを整理したいと思っておられるのですね。
戦後の貧しい時代を経験されたお母さんにとっては、親や身近な人たちの世話をするのは当たり前のことで、その後の世相の変化に戸惑いながらも、自分の子供はしっかり教育したいと思ってこられたのではないでしょうか。そのお母さんからすると、あなた方の世代は豊かさの中で自由奔放に過ごしているように見え、「そんなに自分勝手では、あなたの人生も社会もだめになる」という思いから、あえて口やかましく言ってこられたのでしょう。自由や権利の主張に慣れた若い世代では、あなたのように母親の言葉を素直に受けとめ、罪悪感まで抱くような人は少ないかもしれません。
今、あなたが自分中心に生きてきたことに後悔にも似た気持ちを抱いているのは、お母さんの思いが正しくあなたの心に伝わっていたからでしょう。母親を恨みに思うのではなく、冷静に感謝して受けとめてよいのではないかと思います。
人間の発達課題を考えても、30代までは自己確立と結婚、そして家庭づくりに最大の努力を傾けるのが一般的です。ようやく安定する40代になって、家族や社会にお返しをという温かい気持ちを抱けたら、それが理想だと考えます。その意味であなたが今、親の苦労を偲んで感謝し、今までのわがままを素直に反省しつつ「お母さん、私は今、こんな気持ちで生活しようと考えているのです」と、社会の役に立ちたいという思いを伝えたら、きっと心から喜んでいただけるものと思われます。
罪悪感を抱くほどのつらい思いというと、少し病的なようにも思えて心配になりますが、母親の言葉によって自分の心を傷つけ過ぎるのではなく、その言葉によって自分の未熟さに気づき、たくさんの人のおかげで今日の幸せがあることを感じとるために不可欠な痛みであると受けとめたいものです。この痛みの体験を、これからの人生を謙虚に感謝の気持ちで、前向きに力強く生きていくための原点として受けとめていただきたいのです。
後悔ばかりで躊躇していては、真の反省にはなりません。どうかご主人ともこのことについてよく語り合い、理解し合ってください。「自分の時間を有効に使って、少しでも社会に貢献したい」という思いほど、尊く喜びの多いことはないと確信しています。
平成30年8月号

Q:親の反対で逃した就職

学生時代、私には就きたいと思っていた職業がありました。ところが私を公務員にしたかった両親が強く反対したため、思うように就職活動もできず、結果は全滅。やむなく非正規雇用で働くという選択をしました。親の態度が軟化するまでと思っていたのですが、そのときには希望の職に就ける年齢ではなくなっていました。人生を棒に振った思いで、今となっては親を恨むばかりです。
(30代・男性)

A:弱気にならず、やる気を発揮して

学生時代に就きたいと思っていた職業を両親の反対であきらめたことから、希望の職に就ける年齢を超えた今、親を恨みたい気持ちになっておられるようです。
親としては、当時のあなたの姿を見て、堅実かつ有意な公務員にと考えられたのでしょう。その勧めに抗しきれず、別の道を歩みながら、いつかは自分の思いを実現しようと歩んでこられたあなたのつらさも理解できます。両親も当時は反対したものの、人生を肩代わりできるわけではなく、あなたの決断を見守り、案じつつ今日に至っておられることでしょう。あなたが過去を悔い、親を責める気持ちも分かりますが、その悔しい思いをバネにして、冷静に再出発されることをお勧めします。
今のあなたは、この十年近い年月を「まったく意味のない人生を歩まされた」というマイナスの気持ちで受けとめておられるようですが、このような考えにとらわれている限り「自分の人生」を歩むことはできないと自覚する必要があります。今の悩みは、過去を正しく受けとめ、自分を取り戻すために不可欠な苦悩であると受けとめる必要があるでしょう。
誰のせいでもなく、自分の責任において人生を切り拓くための大切な時であると自覚できれば、この間に体験した数々の試練や苦悩にも、新しい意味を見いだせることでしょう。親に抗しきれなかったのもあなたですし、親に従って待ってみようと決めたのもあなたです。どうして親が反対したのかを振り返る時間もあったでしょうし、不本意な仕事をしながらも有意義な体験をし、学んだこともたくさんあったのではありませんか。
今では、社会の中で自分をよりよく生かす道を考えるだけの視野も広がっていると思われます。あなたがこの不遇に思える体験を賢く冷静に受けとめて、強い心で持ちこたえ、人生に再挑戦することが、親の安心にも自己実現にもつながると確信しています。
人生が自分の思うとおりにいくものでなくてはならないと考えていると、人は反省し成熟し成長する機会を失うことになります。人生の醍醐味は、これからも襲ってくるであろうさまざまな試練に対して、自己の責任において挑戦し克服しながら、家庭や社会に貢献しつつ、命のリレーランナーとして誠実に生きていく、その中で味わうものであると考えるからです。
あなたは今、少し弱気になっておられるようですが、今こそやる気を発揮して、自分を鍛え、強く生き抜くチャンスと考えてはどうですか。人生百年時代の到来です。親も不完全、あなたも不完全、共に足りないところに気づいたところから、勇気と元気と根気を持って、新しい自分、新しい人生に挑戦してくださることを願っています。
平成30年7月号

Q:先の見えない介護生活に不安

同居の義母は今年で100歳。実家の両親も90代になり、きょうだいは皆、仕事の都合で遠くにいるため、私たち夫婦で両家の親の生活を見守っています。義母は身の回りの手助けは必要ですが、頑張ってくれており、実父は畑で採れた物を持ってきてくれたり、施設に入った実母も多少のアドバイスをくれたりします。夫はボランティアに精を出し、私も健康でありがたいのですが、この状態がいつまで続くのかと思うと不安になることがあります。どうかよきアドバイスをお願いします。
(60代・女性)

A:家族の絆を、新たに創ろう

同居の義母も実家のご両親も高齢ながら、それぞれ自分にできることを頑張ってやってくれている様子です。しかし、ほかのきょうだいが遠方にいることもあり、その生活を身近で見守るあなたは先行きの不安を感じておられるようです。
人生百年という超高齢社会に突入しつつある今日の日本では、あなた方のように、自分自身が六十代になってから親の最晩年の世話をし、見守るのが普通の時代になってきました。あなたの家庭は幸いにも、義母とご両親それぞれが不自由さを抱えながらも前向きに生活をされているようですが、この状態がいつまで続くのだろうとと、一瞬、不安に駆られるのがたいていです。
あなたも心配でしょうが、高齢の親たちも、自分の心身の健康から生活上の諸問題に至るまで、いつ何が起こるか分からないという状況におられます。そのような中で一番大切なことは、一人ひとりが不安や不信に陥り孤立するのではなく、家族や第三者の意見や援助を素直に受け入れる「心の柔軟さ」を保つことだと考えます。
あなたが抱えている「この先への不安」は、親から子へ、子から孫へと世代が続いていく限り、昔も今もこれからも、誰しもが体験し備えるべき課題です。家族の中の誰かがこの不安から目をそらそうとすれば、ほかの誰かがその穴埋めをしなければなりません。
したがって、親の身近におられるあなたには、家族の誰がどのような援助を必要としているのかをよく観察し、介護支援の利用なども含めて親子・きょうだいの間で語り合い、情報を共有していく必要があります。あなた一人でなんとかしようとするのではなく、遠きも近きも、家族みんなで理解し合って「こうしよう、ああしよう」と語り合い、事が起こったときにはすぐに相談できるよう、信頼と安心のある関係を築きたいものです。一人でやっていると不安になりますが、家族の理解と協力があると分かっていれば、「今の自分にできることを、誠心誠意努めよう」と考えることができるでしょう。
「明日のことを思い煩うことなかれ」。これは先の見えない人生の課題を乗り越えるときに「今できる最善の努力を惜しまず、後のことを案じない」と教えた先人の知恵です。
あなたには今、身近な相談者・協力者がいるでしょうか。もう少しご主人にも思いを伝えて、協力を願いましょう。共に受けとめると、苦労は半分に、味わう喜びは二倍にも三倍にもなるものです。ご両親を中心に、家族が心を一つにして、感謝と奉仕と喜びの種を育てるチャンスにしてください。
平成30年6月号

Q:子供同士のトラブルから仲違いした友人

小学校高学年の娘が、友人とのトラブルで悩んでいる時期がありました。相手の子の母親とは親しかったため、親子同席で話し合いましたが、相手の子が非を認めず、思い余った私は担任に相談して「別のクラスにしてほしい」と言ってしまいました。翌年はクラスが分かれ、娘同士の仲は改善してきたものの、今度は相手の母親が私に冷たい態度を取るようになりました。きっと私が担任に相談したことを知って傷ついたのだと思います。軽率な言動で大切なママ友を失い、途方に暮れています。
(40代・女性)

A:気づきを大切に、責めは謙虚に受けよう

子供同士のトラブルに、親しい関係にあった母親同士で協力して円満解決を図ろうとしたものの、相手の娘さんの態度に不満が残り、担任の先生に相談して「別のクラスに」という希望を通してしまったようです。時間の経過とともに、子供たちは仲よく付き合っているようですが、相手のお母さんの冷たい態度に、あなたが一方的に学校へ訴えたことに原因があるのではと悩んでおられるようです。
人間関係のトラブルというものは、あまり親しくする必要のない関係の場合は「気にしないでおこう」と考えたりして、心の平静を保ちやすいところがあります。しかし、それが親しくしておきたい身近な間柄となると、自分の犯した過ちへの後悔は意識に残りやすいものです。友人への配慮を欠き、無断で学校の先生に訴えてしまったという後味の悪さが、ある程度の時間が経過してからわいてきたのは、あなたの良心の自然な働きでしょう。友人があなたを遠ざける原因はほかにあるのかもしれませんが、ここはあなたのその気づきに焦点を当てて考えてみることにしましょう。
すでに自分の非に気づかれているあなたには余計な言葉かもしれませんが、あなたには少し忍耐力と寛容さが足りなかったようです。このことを素直に受けとめ、相手の心が落ち着くまで、少しつらくとも、持ちこたえる時間を味わう必要があると考えます。しかし、この失敗によって、もう友人の信頼は回復できないと決めつけるのは早計でしょう。冷静に、しかも真摯に、相手との関係改善を図る気持ちはなくさないようにしたいものです。
そして、自分の過ちに気づかれたときが最良のチャンスです。人間不信の感情は、時がたてばたつほど増大拡散することが多いようですから、できるだけ早めに、誠意をもって反省の気持ちを伝えることができるとよいですね。相手に許してもらえるかどうかを案ずるのではなく、こちらの非を丁寧に詫びるという態度で、「いつか必ず再び心を通わせ、親しい友だちに戻りたい」という気持ちで過ごすのです。信頼できる第三者に力を借りるのもよいでしょうが、自分の中にあるかたくなな心に気づかせてくれた事件として謙虚に反省し、柔軟な心で生活していきたいものです。
私たちの日常は、このような一時の小さな短慮や過失、それが拡大した結果としての誹謗中傷も錯綜する中で、さまざまに喜怒哀楽を味わうものです。時として自分の非に気づくこともありますが、一つ一つを解決するには相応の勇気が必要です。「過ちを改むるに吝かならず」という『書経』の言葉が心に響きます。どうか自分の心を美しくする勇気を持って、相手との温かいつながりを実現する努力をされることを祈っています。
平成30年5月号

Q:家族を避ける引きこもりの息子

38歳になる二男は高校を中退後、自力で大学入学資格検定に合格し、専門学校に入学しました。卒業後は一流企業に就職して家を出ましたが、地元へは何年も帰らず、近年は電話もつながらない状態になっていました。先日、アパートの大家さんから家賃滞納の連絡を受けたことがきっかけで、人間関係の悩みから会社を辞めていたことが判明しました。以来、ずっと部屋に引きこもっているようで、親やきょうだいが会おうと言っても応じてくれません。どのように関わったらよいでしょうか。
(70代・女性)

A:強い決意でご子息の心に風穴を

アパートの大家さんからの連絡で知ったご子息の現状。会社を辞めて家賃滞納の状態で自室に引きこもり、親やきょうだいとも会おうとしないことに、あなたは困惑されているようです。
高校中退を経験したご子息は、苦労の中で大学入学資格検定を経て専門学校を卒業し、一流企業に就職されたということですから、ある程度の自立の道が見えていただけに、親としては安堵しておられたことでしょう。ところが、しばらく連絡を取ることを怠っている間に、職場での人間関係に悩み、孤立して、親にも相談できないまま退職するに至ったようです。
高校中退後の苦労には、粘り強い努力の末に就職にまでこぎつけられたわけですから、家族の愛情に支えられ、心を奮い立たせておられたことがうかがえます。就職して家を離れた後も、精いっぱいの努力をされていたことでしょう。しかし、直接的な成果を期待され、時には能力以上のことも要求される厳しい企業環境の中、一人孤立していたとすれば、耐えられないほどの重圧やストレスを感じておられたであろうことは想像に難くありません。
連絡が取れていなかった期間がどれほどであったかは分かりませんが、親やきょうだいにも弱音を吐くことができず孤立して、自暴自棄になりつつもなん
とか生き続けておられるご子息の心の内を想像してみてください。孤独ほど、人の心をむしばむものはないというのが私の実感です。ここはあなたの親心に磨きをかけ、ご子息の苦悩を受けとめるだけの心配りと努力を怠ってきたことへの反省を込めて、心の傷を受けとめようとする強い愛情と覚悟を新たにしていただきたいと考えます。
失礼な言い方になるかもしれませんが、彼を救い出せるのはあなた以外にはありません。誰かになんとかしてもらいたいとか、「彼が誰とも会おうとしないから、どうにもならない」といった傍観者的な態度では、ご子息の心の壁は破れないことを覚悟してください。人間という存在は、親の無条件の愛を感じ、その愛を受けとめる体験を蓄積していくことで、困難に持ちこたえ、夢を抱いて生きる力をわき立たせるものです。正しい愛情を受けることなしに、人は自立できないのです。
あなた方に、ご子息の心の壁に風穴を開ける覚悟ができたら、その方法について専門家に相談するのもよいでしょう。しかし容易に心が開けるものでないことは覚悟してください。何度も拒絶されるかもしれません。それでも忍耐強く、踏まれても蹴られても、なんとかしてご子息を抱き寄せてみせるという、熱い、しかし冷静な思いで接し続けてください。その愛情が、彼の氷のような心を溶かしていくことを祈っています。
平成30年4月号

Q:義弟夫婦と義父母の仲を取り持つには

夫の弟が結婚しましたが、義父母はお嫁さんが気に入らないようで、いつも文句を言っています。理由は、お嫁さんがしょっちゅう実家を頼るため、近い将来、息子が家庭で疎外感を感じるようになるのではないかということです。私たち夫婦から見ると、義弟夫婦はとても仲がよく、義父母が心配するようなことにはならないのではないかと思うのですが……。義父母が心配のあまり元気がない姿を見ると、私も苦しいです。義父母と義弟夫婦の間で、どのように立ち回ったらよいでしょうか。(30代・女性)

A:両親を信じ、朗らかに

ご主人のご両親が、何かと実家を頼りにする弟さんのお嫁さんに不満を抱いておられるとのこと。あなたは一緒に住まわれているのでしょうか。ご両親の思いを聞かされ、時には気に病んでおられる姿に、どのように間に入って仲よくしてもらったらいいかと悩んでおられるようです。
親心とはありがたいものですが、時として、子供に自分の思いを押し付けてしまうことがあるようです。「理想の家族関係」を築こうとする親の思いは尊いものですが、相手の家庭の事情を十分に考えることなく「親密な関係でいたい」という思いばかりを募らせると、独りよがりの悪循環に陥りかねません。行き過ぎた期待が相手を悪者にしたり、仲よく過ごしている相手方の関係に疑念を抱かせたりすることもあるのです。
ご両親は、良好な親子関係を築いているあなた方と同じように、弟さん夫婦とも親しい間柄でいて、なんでも相談してもらい、協力してあげたいと思っておられるのでしょう。しかし結婚したばかりで、しかも夫の両親と同居しているわけではないお嫁さんにとっては、ちょっとした問題であれば実母のほうが相談しやすいでしょうし、ややこしい問題であればあるほど、嫁ぎ先の両親には力を借りづらいものでしょう。
ご両親は、そんなお嫁さんの様子を「自分たちの親心を察してくれない」と不平に思い、疑心暗鬼に陥っておられるのではないでしょうか。もともとは親の愛情から出ていることでも、相手を思いやることを忘れると「善意の押し付け」になってしまう危険性を感じます。
間に入るあなたは、まず弟さんのお嫁さんと親交を深め、ご両親に対しては説得しようとするのではなく、実の親に対するような親しい気持ちで、自分が結婚したばかりのころのことなども語り合ってみてはいかがでしょう。ご主人のきょうだいが男性ばかりであるとすれば、お母さんは息子の結婚によって娘を授かったことになりますから、そのお嫁さんと親しくしたいという思いは格別なものかもしれません。あなたはご両親の真心を信じ、また、兄弟姉妹が仲よくすることが親の安心につながることを心して、「自分がなんとかしなくては」と焦るのではなく、穏やかに聞き役に徹することを心がけてください。
あなたの心がどちらかに揺れることがあるかもしれません。しかし、そこは中正で偏らないように。あなたが「困ったな」と思っているときは、あなた自身もこの問題に巻き込まれているという危険信号です。ご主人とは常に心を一つに、親の心に和らぎが戻ることを願いつつ、自分の心を乱すことなく見守っていれば、時間はかかっても解決していくでしょう。
要は、あなたが常に明朗清新の気分で過ごされることが基本です。
平成30年3月号

Q:年の離れた相手との再婚

6年前に妻を病気で亡くしました。その際、部下の女性が近隣に住んでいたこともあり、家の用事をいろいろと手伝ってくれました。昨年、会社を定年退職し、別会社で働き始めてからも、彼女は食事をつくってくれたり掃除をしてくれたりと、世話をしてくれています。友人は「彼女は結婚を意識しているから、再婚するべきだ」と言いますが、迷っています。一人息子はすでに独立し、所帯を持っていますが、その息子と彼女は同世代です。どうすることが最善でしょうか。(60代・男性)

A:心の整理と覚悟を第一に

奥様が亡くなられて6年、部下の女性が最初は近くに住む上司を助けたいという気持ちからだったのでしょうか、あなたの退職後も継続して家事を手伝ってくれているとのこと。ご友人には結婚を勧められたものの、あなたは年齢の差を気にして躊躇しておられるようです。
彼女はどのような気持ちで、どのような時間帯に訪問されているのか、家庭はどのようになっているのかは分かりませんが、6年間もそのような関係が継続しているとすれば、結婚のことを出すまでもなく、自分の気持ちをしっかりと整理して、慎重に対応を考える時であると感じます。
近年の結婚事情は、本人同士の都合が最優先、他人の目など気にしないという風潮のようです。しかし、これでは社会の中で孤立化が進み、家庭崩壊に歯止めがかからなくなるという悪循環が懸念されます。あなたの場合も、問題をこのまま放置すれば、お互いの人格に傷がつくばかりでなく、家族や隣近所にも不信感を抱かせることになるのではないでしょうか。
近所に住まわれていることもあり、軽い気持ちで続いているということのようですが、大人の異性間でのお手伝いということを考えれば、結婚をするかしないかは最後の重大な決断として、一日も早く、彼女に対して責任ある態度を示す必要があると考えます。
おそらく、当初はなんらかの約束事があって始まったものと思われますが、期間の長さや食事・掃除など家人と同様の奉仕をされる間柄ということを考えても、今後の関係性について明確にしておくことが、相手や家族に対しても、社会的な責任を全うするうえでも、必要不可欠であると言えましょう。
もちろん、お互いに好意を抱くことなしにここまで続くことはないでしょうから、先の奥様への思いを大切にしながらも結婚の話が出てくるのは、不思議ではないでしょう。お互いの家庭の事情、経済状況、健康状態などについては考えることもあるでしょうが、ここは率直に語り合い、お互いの人生が豊かになるという方向であれば、年齢の差を越えて真剣に考えてもよいのではないかと考えます。
ご子息夫婦も今の間柄を見守ってきているようですから、どのような反応が返ってくるか想像に難くはありませんが、要はあなた自身の心の整理と覚悟が第一、そのうえで、彼女自身と家族の意思を尊重して決断されればいいのではないでしょうか。結婚に踏み切るには今しばらく時間が必要であるというのであれば、そのことを考慮し、結婚のことは考えられないという結論に達するのであれば、早々に間柄に決着をつけるのが良識というものです。そこに未練を残すことがあってはならないと考えます。
平成30年2月号

Q:ボランティアでの失敗

25年以上、ボランティアを続けています。あるとき、皆の前で私の文章の間違いを厳しく指摘され、とても悲しい気持ちになりました。その文章はパソコンが使えない私のために、息子がプリントにしてくれたものでした。私は幼いころ、戦後の混乱期で十分な教育を受けられなかったので、学力がないことを自覚しています。そんな中で、唯一続けてきたのがボランティアでした。でも、こんな思いをしてまで続けることもないかと思い、迷っています。どのように考えたらよいでしょうか。(70代・女性)

A:もう少し冷静に、明るく受けとめて

皆の前で厳しい指摘を受け、相当に落ち込まれているようです。間違いを指摘した相手がどのような方かは存じませんが、よほど重大なミスと感じられたのでしょうか。
あなたも軽く受け流すことができればよかったのでしょうが、自分でも気にしていることに関わる内容なだけに、いたく傷つき、理不尽だという感情だけが残っているようです。相手に対する不快な気持ちから、こんな思いをしてまでボランティアを続けることもないのではと悩んでおられるのですね。しかし私には、ここはボランティアの経験を通して培ってこられた、あなたの人間としての真価を発揮するときであるように思えるのです。
人は年を重ねるにつれて「他人の欠点はあからさまに指摘しないで、傷つけないよう円満に対応するべきだ」という意識が強くなるように思われます。それと同時に、他人から受ける批判はもとより、悪意のない指摘やアドバイスに対しても素直になれず、自己を正当化して、かえって傷つきやすくなる傾向があるようです。ここは自分の失敗について、まず冷静に、素直に、明るく受けとめることが大切であると考えます。
ボランティア活動は、なんらかの社会貢献を意図した自発的な善意に基づくものですから、あなたもそこにやりがいを感じて活動を続けてこられたのでしょう。しかし、善意の人が集まるグループであれ、そこに人間関係が存在する限り、一人ひとりの気質や性格の違い、さらにはその時々の互いの都合や体調などによって、意見の対立や誤解が生まれることもあるものです。あなた自身も、これまでさまざまな行き違いを経験する中で、互いに許し合い、受けとめ合いながら、自己理解・他者理解を深め、心を美しくする努力をしてこられたのではありませんか。
今回の苦い体験によってボランティアから身を引いてしまうのは、あなた自身にとっても相手の方に対しても、賢明さと誠実さに欠ける対応といえましょう。今日まで努力を重ねてきたにもかかわらず、ここで怒りや不快感をつのらせて人生に遺恨を残すのは、残念なことです。
もちろん、体力的にも精神的にも「そろそろ後進に道を譲ろう」という冷静な気持ちから身を引くというのであれば、それもよいでしょう。しかしその場合も、自分にも非があったのであれば「ごめんなさい」と言えるだけの勇気を出していただきたいものです。
平成30年1月号

Q:不登校の子供との関わり方

男2人、女1人の母親で、看護師として長年働いてきました。長男は就職しましたが、高校生の二男と中学生の長女が不登校で、私もうつ状態になり、退職しました。子供と過ごす時間が増え、長女は元気を取り戻しつつあり、二男も自分の気持ちを話すようになってきました。夫の両親と同居していますが、義母は子供に「学校に行くべきだ」と厳しく言い、認知症の義父にも冷たい態度で、別居を考えたこともあります。子供との関わり方についてのアドバイスをお願いします。(50代・女性)

A:子供の自立心を育てよう

子育てと夫の両親との同居生活に、生計を支えながら努力されている姿が浮かんできます。義父は認知症、義母は介護にあまり協力的でない様子。さらには下の子供二人が不登校になり、苦慮する中でご自身がうつ状態になり、退職に至ったようです。その後は、不登校の二人に好転の兆しが見えてきたものの、義母からは冷たく厳しい態度で非難され、子供たちとどのように関わっていけばよいかと悩まれているのですね。
子供たちの先行きに不安を感じておられるようですが、まずはあなた自身が退職を機に自分を取り戻し、子供を見守り対話する時間が増えたことで、お互いの心の距離が近づいてきたようですから、これを好機と受けとめたいですね。
自我を確立していく過程にある中学生や高校生の多くは、心の内と外にさまざまな不安を抱えているものです。周囲の大人たちがどのように見守り、対応するかによって、子供の心の状態は大きく変化します。
あなたには、この状況を「子供たちの今後のために家の中をどのように整え、課題に取り組んでいくかを考える絶好のチャンス」と、前向きにとらえてもらいたいのです。このような機会がなければ、たいていは経済生活をいかに営むかという点には気をつかったとしても、各自の人生をどのようにつくっていくのかを改まって考えたり、語り合ったりすることはないのではないでしょうか。
幸い、子供たちは中学生以上ですから、人生の目標を語り合い、その理想に向けてどのように現状を打破していくのかを自覚的に考えるような時間をつくることができたら最高です。そのような中で、人生を確立していく主人公は自分であることを自覚し、家族とはいえ一人ひとりが違った志や個性を持つ中で、お互いに協力し合いながら歩んでいくことが大切であると、理解し合いたいものです。家族の相互理解の上に信頼感が育まれたなら、お互いの努力、そして協力への意欲も高まっていくと考えます。
したがって、ここは少し時間をかけても、子供たちの成長意欲を引き出し、心の内を理解し合うことに気持ちを集中してほしいと思います。そのようにして子供たちの思いを十分に理解できたとすれば、子供たちも家族の一員として、力を合わせて祖父のお世話にも取り組めるような雰囲気が家庭内にできてくると思います。
平成29年12月号

Q:会長職を引き受けるべきか?

数年来、軽い付き合いのあった近隣の里山自然公園を守るNPO法人で、会長を引き受ける人が誰もいないという理由から、私が頼まれました。しかし、私はそのような器でもなく、家族(妻、老親)も強く反対しています。そのような状況で無理に引き受けても、よい結果が生まれるとは思えません。どのように考えたらよいのでしょうか。アドバイスをお願いします。(60代・男性)

A:感謝し、楽しむ「心のゆとり」を持って判断を

NPO法人の会長職に推薦されたものの、自分としてはその器ではないと思い、また家族の反対もあって、断りたいと考えておられるようです。しかし、「なり手がないんだよ」と頼まれると、不安に思いながらも承諾したほうがよいのだろうかと、心が揺れているのですね。
社会人としての公的な職業生活が一段落し、知人との縁などから楽しんで社会貢献をしようと、その団体と付き合ってこられたのでしょう。しかし、会長となると責任が重くのしかかり、付き合いもこれまで以上に求められます。慣れない立場になることには、誰もが不安に思うものです。役割に忙殺され、人間関係に気をつかい、自分のゆとりの時間がなくなるとなると、しりごみされるのもよく分かります。
数年来の付き合いがあった団体とはいえ、あなた自身にその気がなければ、気にすることなく断ることができるのではないかと考えます。要請を受けたことに責任を感じておられるのは、推薦者との個人的な関係とともに、NPO法人の理念に共感し、活動を継続していきたいという気持ちが心のどこかにあるのでしょう。自分の力量に慎重で消極的な判断をしている面と、社会に役立つことをしたいという気持ちが、心の中に葛藤を生んでいるようです。
人間というものは、いくつになっても成長するものであり、意義ある人生を送りたいという意欲がなくならない限り、問題に直面しては悩むものです。しかし、それを乗り越えるたびに心地よい緊張感と充実感を味わうことも事実です。若い時代であれば、理想と現実、目標と自分の実力とのギャップに悩みながらも、少々の苦労や失敗があっても挑戦しようと決断し、その体験を通じて成長していくものです。
あなたは今日まで、どのように人生を歩んでこられましたか。消極的に、より安全な道を選んでこられたのでしょうか、それとも積極的に挑戦してこられたのでしょうか。また、今後の人生はどちらの道を歩んでいこうと考えておられますか。ご家族は無理をしてまで挑戦することはないと考え、無難な道を勧めているのでしょうから、あなたがはっきりとした意思を持っていないと、今回の場合、明確な判断を下せないことになります。
いずれにせよ、「自分の判断に対しては誰も責任を取ってくれない」ということをよくわきまえて、「自分の人生に感謝し、楽しむ」という心のゆとりを持って判断されればよいでしょう。会長職を引き受けるか否かにかかわらず、自分の道に自信を持って進まれることをお勧めします。
平成29年11月号

Q:約束を破る人が許せない

長年の疑問についてお尋ねします。約束を破る人についてです。会う約束をしていた友人から直前になってキャンセルされ、ひどいときは1人で旅行をしたこともあります。約束を破った友人は悪びれた様子もなく、私はいつも傷ついたり怒ったりです。私は小さな約束でも守れるように、念入りに事前の調整をするのですが……。予定の変更は仕方のないことかもしれませんが、相手に軽んじられているのではないかと思うことがあります。どのように受けとめたらよいでしょうか。(40代・女性)

A:勇気を出して気持ちを伝える努力を

長いお付き合いのご友人なのでしょうか。普通、約束を破ったり破られたりすると、お互いにいやな気分だけが残るものです。でも、あなたの友人は約束を破っても悪びれるところもなく、あなたの苦痛や怒りにも頓着せずに、「ごめんなさい」とあっさり済ませる人のようです。あなたは不審を抱きながらも、その友人とは仲よくしたいという思いもあり、自分の気持ちを訴えることもできず、対応に悩んでおられるのでしょう。
今のあなたは、自分の受けとめ方を変えることで、なんとか解決していこうと考えておられるようです。しかし、このままでは友人と対立はしないものの、よい関係が長続きするようには思えないのですが、どうでしょうか。
ほかの人から不適切な行為や態度を受けた場合、どのように対応するかによって、あなた自身の健全な成長を左右するということは、あなたも気づかれているでしょう。大切な人であればあるほど、相手を尊重しつつ、理解できないところは丁寧に聞き、相手の思いや事情に耳を傾け、理解し合うという基本的な姿勢を持ちたいものです。
あなたが今、友人に対してそのような態度が取れない、あるいは友人が耳を貸そうとしないのであれば、それはあなたにとっても友人にとっても不誠実な人間関係であると言わざるをえません。それはお互いに大切な成長の機会を放置していることになりましょう。
人には自分1人では気づけない短所や長所があるものです。でも、相手の短所ともいえる考え方や態度を無理やり変えようとするのは心地よいことではなく、人間関係を壊してしまうことにもなりかねません。あなたにとって大切な友人であれば、なおさら相手を心から尊重しながら、語り合い、学び合い、成長し合うという努力をしてほしいと考えます。
今までも何度か同じような苦い体験をしてきて、今さらそんなことはできないとお考えになるかもしれません。しかし、私は慎重に自分自身に挑戦していただきたいと思います。人間はいくつになっても人間的に成熟するもので、あなた自身が成熟し、相手と理解し合った分だけ、生きる喜びや充実感が増えると確信するからです。
あなたはこれまで自分の気持ちを抑え、相手の自発的な善意を待つという消極的な態度を取ってこられたようです。しかし、ここは友人と親しく語り合うチャンスをつくって、あなたの素直な気持ちを丁寧に聞いてもらってはどうでしょうか。結果を案ずるのではなく、勇気を出して、あなたの気持ちを伝える努力をしてみてください。自分の誠意を伝えることで、自分に挑戦してみてください。きっと新しい自分に出会うことができるでしょう。
平成29年10月号

Q:自分らしい人生を歩みたい

2年前に離婚しました。元夫の事業不振や育児に対する考え方の違い、姑からの心ない言葉。笑顔があり、くつろげる家庭をつくろうと努力しましたが、心の休まる日はありませんでした。私が2人の子供を育てていますが、時期をずらして不登校になり、私自身も苦悩の中で人生を振り返りました。元夫は転職し、少し変わったようです。家族4人が元に戻って温かい家庭を築くべきと思う一方、子供が自立したら自分らしい人生を歩みたいとも思います。このような考えは罪深いのでしょうか。(40代・女性)

A:子供を育て上げる責任を第一に

2年前に子供を連れて離婚し、1人で子育てに苦心されているとのこと。努力はされたのでしょうが、夫の事業不振というタイミングの悪さもあり、夫や姑との関係がこじれて離婚に至ったようです。
一般的に40代は、仕事においても家庭内においても認められたいという社会的欲求が出やすい時期です。あなた方の場合、その欲求が相手に向いたうえ、子供たちの自立の問題や、姑からの期待がからまって、破局に至ったのでしょう。相手への期待が大きければ大きいだけ、自分の感情を抑えきれなくなるものです。その結果、相手を攻撃したり絶望したりという結末を迎えることになったのであれば、残念なことです。
しかし時間と距離を置いた今、あなたは少し冷静さを取り戻されているようです。その後、転職した元夫が落ち着いていることや、2人の子供の不登校によって、夫婦の協力の必要性を実感され、家族4人での生活を再考されているようですね。
復縁があなたの望むように実現するかは分かりませんが、ここではあなたの心が前向きになっているようですからあえて申し上げます。
まず、可能な限り、親は2人して子供を正しく育て上げる責任あることを銘記したいものです。結婚をして子供が授かったあなた方には、子供を立派に自立させるまでの義務があり、これを他人任せにしてはならないと考えるからです。
どのような夫婦も、時折、対立や苦悩から逃げ出したくなることがあるものです。しかし、この苦悩を克服することなしに、お互いの人間としての成長や喜びは得られません。あなたの「自分らしく自由にふるまい」たいという思いも、共に喜びを分かち合う相手がいなければ、その自由はむなしいものです。
子供を育て上げた後で、あなたがどのような生き方を選ばれるかはお任せしますが、離婚を前提にして、子育ての間だけ辛抱するというのでは、それは真の愛情ではありませんから、悲しい結末に至りましょう。ここは冷静に2人して、これからの子供たちの人生について語り合いたいものです。そうする中で、相手が自分に向けてくれた思いやりにも気づき、お互いを認め合い、許し合い、尊重し合うことがどれほど大切であるかに気づかされるでしょう。
他者と対立したときは、相手への要求心が大きすぎたことを反省する以外に事態を好転させる道はありません。子供たちの健全な成長を第一に、自分自身の人生ためにも、勇気を出して歩んでください。
平成29年9月号

Q:海外で働く娘が心配

20代の娘は昨年、海外にある会社に転職しました。海外で働くことは学生時代からの夢だったようですが、最近はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス=インターネット上の会員制サービス)で「この国に貢献することが私の使命」と公言しています。親としてはそこまでの覚悟とは思わなかったため、困惑しています。連絡しようにも途上国なので、電話がなかなか通じず、手紙も届いたり届かなかったりします。どうしたらよいでしょうか。(50代・主婦)

A:覚悟と祈りをもって見守りたい

若い人々が海外へ雄飛し、世界中の人々の中に入って人間関係を築きながら仕事をし、協調と平和を実現していく時代です。娘さんは学生時代から海外で働くことを夢とし、今では「この国に貢献することが私の使命」と公言しておられるというのですから、目標に向かってたくましく生きておられることに、まずは敬意を表します。
とはいえ、国内とは事情も違って、親としては心配の種が尽きることはないでしょう。安心と安全がかなり保障されている日本で暮らしていると、海外での生活に不安を感じる気持ちも分からないわけではありません。
しかし、少し冷静に考えると、どの国にも善き人がいれば悪しき人もいるわけで、不安ばかり抱いて足を引っ張っていても、娘さんの人間的な成長を妨げることになるでしょう。ここは娘さんの危機管理能力を信じつつ、案じながらも前向きに、親子共々が国際的日本人になるという覚悟をする機会ととらえていただきたいと思います。
今日では国内にいても海外にいても、危険はいつも隣り合わせです。どんなに安全に気を配っても、現実の社会において、何事に遭遇するかは計り知れません。だからこそ国家は自国民の安全に、また、それぞれの集団はそれぞれの場面での危機管理に最善を尽くすのです。
日常の経済活動を中心にグローバル化が進み、私たちの生活が自由と多様性に向かっていく限り、究極的には個人が正しい道徳的判断力とたくましく生き抜く力を養い、自己管理をしていく覚悟が不可欠になっています。
今や私たちは、言葉や生活習慣、生活信条や信仰など、さまざまに異なる価値観の中で、平和を実現するために、互いに尊重し合い、信頼をもって共存することが不可避な時代に生きています。各個人の人間力も、重要性を増しています。そしてこれらの力を使って、共に今を生きている人々と心のつながりを保ちながら、互いの「いのち」の根源といえる自然や国家や家族への愛を実現していく必要があります。
娘さんはそんな意志を持って、海外で、現地の人たちと共に、生きる喜びを分かち合おうとしておられるのではありませんか。祖国への誇り、家族との絆、他者への愛情を抱きつつ、今、目の前にある使命に挑戦されているとすれば、「少々のことがあっても大丈夫」という覚悟を持って、見守ってあげてもいいのではないかと考えます。
一人ひとりが自分の天賦の才を生かし、天命に生きる時代が到来していると理解し、不安を祈る力に変えて見守っていく勇気を奮い起こしていきたいものです。
平成29年8月号

Q:職場の先輩の態度に悩む

私の勤め先は、社員十数名の会社です。勤続年数の一番長い女性は、日ごろから好き勝手なふるまいをしており、自分の意に添わないと、あからさまにいやな態度をします。例えば、気の合わない人の前では、わざとらしくマスクをして、口をききません。このことはほかの社員もおかしいと思ってはいるのですが、面倒なことに巻き込まれるのを恐れて注意もできないのです。今の状況を改善するには、どうしたらよいでしょうか。(20代・男性)

A:自分の職務に明るく徹するところから

勤続年数が最も長い先輩女性のわがままに、周りの従業員は不愉快な思いをしながら耐えておられるようです。あなたはなんとかしたいと思いつつ、どのように関わっていけばいいかが分からずに困っておられるのでしょう。
勤め先の上司や先輩、時には同僚の自由気ままなふるまいに悩まされることは、よくあることです。特に経験が浅いうちは、人間関係ばかりが気になって、自分を見失ってしまうことさえあるものです。
社内の就業規則が明確になっている場合は、不快でわがままな行為を律するという雰囲気もつくりやすいのでしょうが、そうでない場合、あなたのような存在は、会社にとって宝物です。小さな人間関係の問題とはいえ、大切な生活の場である職場環境の問題を放置しておくのは賢明とはいえません。しかし、相手を変えようとするのではなく、自分の周囲との関わり方を変えていき、徐々に職場の雰囲気をよくしていくように努めましょう。
ただ、一人でなんとかしようと考えるのはやめましょう。先輩や仲間の協力なしには、うまくいかないでしょう。そして、あなた自身は新しい自分に挑戦する好機と考えて、まず職場での自分の責任の果たし方について見直してみましょう。
当面の目標は、先輩女性に態度を改めてもらいたいということですが、現実的には、皆が協力し合って会社の社会的使命を果たしやすい職場の雰囲気をつくることにあるわけですから、この問題から少し距離を置くことも必要です。
どのような人も、他人には言えない個人的な悩みを抱えているものです。他人に不快感を与えずにはいられないようなつらさを抱えておられるのかもしれません。当人も、本心では他人とうまくやっていきたいと考えておられるのでしょうが……。非難する気持ちからは、人の和は実現されません。
この問題を改善していくには、当の本人を悪者にすることなく、大きな心と粘り強い忍耐力と、仲間への信頼感を持続することが求められます。多少時間はかかっても、その先輩の心の味方になり、まずは明るい挨拶、快い返事、謙虚な仕事ぶりを通して、職場の雰囲気をよくすることを念頭に、今、目の前にある仕事に情熱を傾けてください。焦ることなく、邪を破らず誠意をもって、誰もが職場に来ると元気になれる雰囲気をつくる努力をしましょう。
職場の問題を一つずつ、自分の課題として解決していくその姿勢は、あなたを人間的に大きく育ててくれるでしょう。試してみてください。
平成29年7月号

Q:親の責任を迫る引きこもりの息子

私どもは3人の男児に恵まれました。現在、40代の長男は他県で家庭を持ち、30代後半の次男・三男と同居しています。三男は小学生のころに不登校になり、現在は引きこもり状態です。最近は「自分がこうなったのは、『善悪の判断』や『正々堂々とした態度』を教えてこなかった父親に責任がある」と迫るようになりました。私は親として、どのように償うことができるでしょうか。息子の将来のために、何をしてやれるでしょうか。(70代・男性)

A:すべてをかけて、もつれを正す勇気を

30代後半になるご子息が、小学校時代からの不登校に始まり、今では引きこもりの状態になっているとのことです。本人も長い年月を経て、なんともやるせない気持ちが募り、その原因を「親が正しい教育をしてくれなかったからだ」と責め立てているようですね。親としても、いろいろ手を尽くしてきたものの、今もって自立できないでいる息子に、自分たちの未熟さを反省しつつも、なんともしてやれない現状への無力感が、いたく感じられます。
何が原因であるかは別にして、親が責任を回避すれば、事態は時の経過と共に悪化するばかりです。ここは「子供たちと共に事態を受けとめよう」という、プラスの覚悟が必要です。
戦後の高度経済成長期を生きた私たちの世代は、自由に物の豊かさを実現することをよしとする空気の中で育ちました。しかし、自分自身が親の立場になったとき、子供たちの心の成長に十分な配慮をしてきたかと顧みますと、さまざまな試練や葛藤に「持ちこたえる力」を養わずにきてしまったのかもしれません。残念なことですが、ご子息も青少年期の心の葛藤をうまく克服できず、自然に発達する自意識や自尊心に対し、心が調わぬまま成人していることになります。親として、してやれることは限られ、子供との対立や抵抗も、時と共に大きくなっているのを実感されていることでしょう。
ここは、専門家の手を借りることが必要です。精神科医やカウンセラー、さらには地域の自立支援センターなどとも相談し、本人の意思で動き始めるように導く道を探りましょう。冷静に過去を受けとめ、自分自身を取り戻すことを目標に、自分で歩み始めることを支えてくれる人と出会えることが、現状を打開する鍵になるからです。
このような他人の援助は不可欠ですが、その基本は家族みんなの足並みです。親の責任において、家族全員がこのもつれた糸をつむぎ直していく覚悟を共有したいものです。なんといっても両親と子供たちとの間に、お互いの愛情と信頼と尊敬を取り戻す機会にしてほしいのです。
長い間に複雑化した問題を正し、心の傷を癒していくには、不退転の覚悟が必要です。しかし、あなたが全身全霊をかけて、子供の将来のために祈り、どんなに誹謗されても家族と共に人生を全うするという粘り強い親心を持って歩む限り、運命の神は決して見捨てることはないと信じます。
どうか心を正して、苦悩のうちに犠牲を払うことを喜びとして、大きな勇気を持って歩んでくださるよう祈ります。
平成29年6月号

Q:友人の将来が心配

私の友人は、中学のときに途中で部活動を退部、高校2年生のときにはついに中退してしまいました。「将来は料理人になりたいので、それ以外のことに時間を取られたくなかった」と言っていましたが、ここ数年は引きこもりの状態が続いています。高校中退後も10年ほど友だち付き合いがありましたが、昨年、私がきつく説教をしてしまい、以来、絶交状態にあります。これから私は、彼が独り立ちするのを待つべきでしょうか。あるいは何か、はたらきかけるべきでしょうか。(20代・男性)

A:友人と共に成長しよう

20代後半になった引きこもりの友人に、なんとか手助けをしたいが、どのようにはたらきかけていけばいいかと案じておられる様子です。
詳しい経緯は分かりませんが、中学生のときに部活を退部し、高校も中途退学をしたということですから、そうした挫折の経験がその後の生き方に影を落としていることは否めないようです。また、料理人として生きていくことを目標にしながらも持ちこたえられず、今日に至っているというのは、当人としても、思うようにいかない人生に落胆しておられることでしょうね。
無二の友ともいえるあなたも、そのような状態の友人を励ましたくて、結局は説教をしてしまい、絶交状態になっているということです。
現実の厳しさを考えますと、本人だけの努力で独り立ちすることは難しいように思えます。さらには、そこに第三者の協力があったとしても、彼自身に前向きな姿勢と覚悟がわいてこない限り、一人の人間として自立していくことは難しいという点を、あなた自身が認識しておく必要があるでしょう。
いかに親身になっても、他人がその人になり代わることはできないのですから、支援することにも限界があります。また、私たちは、自分の成育過程において達成しておかなければならない課題があり、その時機を逃すと、年齢が加わるにつれて、ますます自立することが難しくなるという事実をわきまえる必要があります。
ここは、あなた一人の力でなんとかしようと考えるのではなく、あなたとその友人の持っている資源(知的・道徳的・体力的・精神的特質、さらには協力者など)について理解をし、共に考えてくれる両親や恩師、信頼できる先輩などの力を借りることを考える必要があります。
「鉄は熱いうちに打て」とは古来の名言ですが、幸いまだ20代。やり直しがきかないわけではありません。友人の心に火を点ける何者かに出会わせることができるかどうかが問題です。このままずるずると過ごしていては、明るい未来は開けません。
その気持ちを切り替えさせるには、まず友人を外に引き出し、体から友の心を動かしていく必要があります。具体的には「話し合う」「旅をする」「行をする」「人に会う」ことがお勧めです。あなたがそうした時間を彼と共に過ごせれば最高です。友人が今、みずから相談できる相手を持っていないとすれば、あなたが彼の心の友となるよう心がけてください。
もちろん、あなた自身も自分の人生を着実に歩み、信頼して相談できる親や仲間との絆を強めていくことを忘れてはなりません。友人と誠実に関わる中で、共々に人間的に成長されることを祈っています。
平成29年5月号

Q:国際結婚の是非

私には同じ会社で働く外国人の恋人がおり、交際5か月目でプロポーズされました。しかし、母と祖父母は「外国人だから無理なものは無理」との一点張りで、猛反対です。彼をわが家に招待したときは、楽しく談笑していたにもかかわらず、「この結婚を進めたら親子の縁を切る」とまで言われています。私は、グローバル化が進む今、結婚に国籍は関係ないと思うのですが、将来、子供ができたときに家族の仲が悪いのはよくないとも思い、不安を感じています。(20代・女性)

A:親を非難するのではなく、しっかり自立を

外国人の恋人との結婚について、お母さんやおじいさん、おばあさんに猛反対され、立ち往生していらっしゃるようです。
結婚という人生の一大事に、最愛の人と巡り会うことができたのであれば、すんなりと祝福してあげてもいいのでは……というのが第三者の気持ちです。しかし、ご家族にとってみれば、まったくの異文化の人との生活を思うと、さまざまな不安と戸惑いを抱かれることも容易に想像できます。
今日、私たちの生活はグローバル化が進み、諸外国の人々との交流の機会が増えています。異文化間の対話や相互理解、相互協力なしには、それぞれの国家や地域の発展を実現しがたい時代に突入しているといってよいでしょう。そのような中で出会う男女に、言葉や文化の違いを乗り越えて互いを信じ、愛し合える人間力があったなら、国境を越えた恋愛に進んでいくケースは、これからもますます増えていくことでしょう。
しかし、今回のあなたのような結婚ということになりますと、あなた個人の問題にとどまらず、あなたのご家族がどれほど異文化の慣習に適応できるかということもポイントになります。ご家族の反応をうかがう限り、慣れ親しんだ日本的な生活以外には想像できないほどの不安を感じ、「それなら親子の縁を切る」という拒絶反応が出るのも不思議ではありません。
ただ、冷静なご家族のようですから、頭ごなしに反対しているように見えたとしても、あなたを育ててきた親だからこその強い思いがあるのかもしれません。あなたがこの結婚に対して、どのような苦労があっても耐えていけるだけの覚悟はあるのかと、身を切る思いで問うておられると考えることもできるからです。
あなたにとって、とても大切な彼であるとすれば、なおさら冷静に、決して短慮に走ることのないよう、少し時間をかけることにしてはいかがでしょうか。交際を始めて5か月という期間を考えると、反対されるご家族への配慮、あなたにもある「子育てや家庭不和への不安」の解消、そして彼の家族に対する配慮も必要です。ここは彼との交際を大切に継続しながら、周囲の人々に少しでも安心を与えられるよう、2人して努力されることをお勧めします。
もし、あなたが親の反対をバネにして、真の大人としていっそう深く親の思いを見つめ直し、自分たちの思いも理解してもらえるように粘り強く努力をするのであれば、最後は誰も反対できるものではないでしょう。
要は、自分たちの結婚を考えるだけでなく、誠心誠意、親に安心を与えられるよう、本気で行動できるか否かに、あなたの人生のすべてがかかっていることを心得てください。応援しています。
平成29年4月号

Q:皆に分かってもらうには

私は最近、否定的な言葉や人の悪口を言えば、運気は悪い方向に流れ災いを招くと知り、愚痴も含めて言わないようにしていました。しかし、職場の同僚からは、あまりいい感じを持たれません。確かに以前の私は、その同僚と一緒に人の悪口を言ってストレスを発散していましたが、今や猛反省したのです。同僚にもこのことを知ってほしくて「思いやりの心が自身の運勢を好転させる」と伝えたことで、かえって自分の立場を悪くし、ぎくしゃくしています。どうすればよいでしょうか。(50代・女性)

A:まずは徹底して自分に挑戦を

「否定的な言葉や人の悪口を言うことが自分の運勢を悪くする」と知って、自分なりの努力をしてこられましたが、周りの人には好意的に受けとめてもらえないのですね。なんとか思いを伝え、皆にも幸せになってほしいと思って話したことで、かえって反発を受けてしまったようです。
周囲に思いやりの心を広げていこうとすること自体は、よい心がけであると同感しますが、その場の雰囲気や他人の生活態度を変えていくには、相応の忍耐力と時間が必要です。
たいていの人は、自分のふだんの言葉づかいや態度、さらには考え方を変えるように押し付けられていると感じたときには、本能的に反発するものです。これは、高邁な政治・経済のことから家庭や職場の人間関係に至るまで、どんなに正しいと思えることでも、何か新しいことを試みようとするときには、すべての人が同じように賛成し協力してくれるものではないということでもあります。
人には、それぞれ自分なりの考えや事情があり、自分に都合がよければ賛成するといった自己中心性(わがまま)を持っているものです。自分を変えていきたい、そして周りの人ともうまくやっていきたいというあなたの思いは、間違ってはいないのですが、今のままでは周囲の人から「迷惑な人」というレッテルを貼られてしまいかねません。
あなたのように、自分の行いを正して周りの雰囲気をよくしていこうと努力する人があってこそ、社会はよくなるのですから、あなたには負けてほしくないですね。
しかし、そのためには相手を変えようとか説得しようというのではなく、それなりの冷静さと粘り強い覚悟をもって、まずは自分を変えていく努力が必要です。あなたが「自分の言葉や態度が運勢を変える」と気づかれたのは間違ってはいないとしても、あなたは少し焦っておられたのではないでしょうか。その言葉を伝えられた同僚が、決して快い感情を抱かれなかったのですから。
皆に分かってもらうには、自分の存在が周囲から好意的に受け入れられるということが基本ですから、あなた自身が優しく温かく、気持ちのいい空気のような存在になることが肝要であると考えます。
したがって、あなたには、自分で気づかれたことを大切に積み重ね、「否定的な言葉や悪口を言わないことで、人間がこんなに明るく、生き生きとしてくる」ということを、その生きる姿で表してくださることを願います。
人は変われるものだということ、そして、その変わった分だけ喜びを味わえるものであるということを、粘り強く示し続けていってください。
平成29年3月号

Q:子供を授からなくても強く生きるには

私には持病があり、子供を授かっておりません。昨年までヘルパーをしていましたが、利用者さんに子供がいないことをなじられ、仕事を辞めました。それ以前の職場でも、繰り返し子供について質問され、長続きしませんでした。正直に病のことも言えず、その人たちをいつまでも恨む日々です。今では人と関わるのが怖くなり、外に出て仕事をする気力もなくなってしまいました。興味本位の人には、どのように対処したらよいでしょうか。子供がいなくても、強く生きていけるでしょうか。(40代・女性)

A:与えられたいのちを受けとめよう

結婚はしたものの、持病のために子供を授かることができない中で、精いっぱい仕事に励んでこられたあなたは、心ない人から冷たい視線や非難めいた言葉を浴びせられ、反論もできずに身を引き、自分の殻に閉じこもりつつあるようです。
一般的には、社会的弱者やハンディキャップを持つ人々への配慮や支援への意識は高まりつつあります。しかし一方で、あなたのように理不尽な思いをされることがあるのも事実で、とても悲しいことです。
今日、科学技術や医学・心理学・生理学等の進歩発展には目を見張るものがありますが、不断の研究にもかかわらず、難病はなくならない状態です。あなたは持病を克服すべく努力されているのでしょうが、なんとも乗り越えられない病気にさいなまれ、苦悩されているようです。
非情のようですが、あなたに与えられた現状を受け入れる以外、前向きに生きる道はないと覚悟する必要があります。ここでは、周囲の理不尽な態度や言動に対して、あなた自身が強い気持ちで生活を全うできるよう、同時に、あなたの態度によって少しでも社会が明るくなるように、一緒に考えてみたいと思います。
ただ、これは決して容易な道ではありません。持病があることに対して、あなた自身が引け目を感じていては、どうにもならない問題であると自覚していただきたいと思います。
人間には、他人の弱みにつけ込んで、自分の弱さや理不尽さを正当化しようとする性質があります。しかし、真に自分の弱み(あなたの場合は持病)を受け入れている人に対しては、よほど悪意のある人でない限り、素直に思いやりの心を発動するものです。
あなたの場合、どうしても子供が授からない状態であるとすれば、それはあなたのせいでも誰のせいでもなく、人間としては受けとめるしかない事柄としてとらえ、自分を見失わないことです。そのうえで、ご主人や仲間の支援を得ながら、無理のない範囲で社会参加を心がけることです。
どのような人でも、社会と関わりを持つ限り、自分のすべてを誰もが快く受け入れてくれるということはありません。自分の中にある他人への不信感や期待感をなくし、自分の素直な気持ちを大切に、周りの人の役に立てるよう、無心に歩んでみてください。他人の言葉に動じることなく、1か月、2か月、3か月と、自分らしさを精いっぱい発揮してください。きっとあなたの味方が1人、2人と現れてくることでしょう。
途中でくじけそうになるかもしれませんが、そのときは頑張りすぎず、天を味方に、ご主人や仲間の力を借りて自分のいのちを輝かしてください。与えられたいのちを素直に生き抜いてくださることを祈っています。
平成29年2月号

Q:弟の再就職

実家の弟は、人付き合いの苦手なタイプです。大学を中退した後、親戚の紹介で就職し、5年ほど勤めましたが、仕事上のトラブルの責任を取る形で辞めてしまい、今はアルバイト生活です。母親は、弟のことをかわいそうに思うのか、現状に満足している様子です。私は弟がこのまま年老いていく姿を想像すると、再就職して結婚もしてほしいと思うのですが、弟は忠告を素直に聞き入れる性格ではないので困っています。今の状況で姉としてできるのは、どのようなことでしょうか。(30代・女性)

A:お母さんの味方になって

結婚され、実家を離れたあなたは、弟さんと実家が今後どうなっていくのかを案じておられるのでしょう。今はいいとしても、弟さんの将来の結婚や自立のことを考えると、「弟をなんとか再就職させ、母親にも安心してもらいたい」という気持ちで焦っておられるのでしょう。
ご質問からはお父さんの存在がうかがえませんが、お母さん一人のご苦労で育ててこられたのでしょうか。「弟は忠告を素直に聞き入れる性格ではない」とありますので、現時点で、あなたの心配はご本人に快く伝わっていないようですね。
今日の日本社会は二極化しつつあります。パートやアルバイトなどの非正規雇用で生活する青年男女が増え、至るところで就労支援や育児・結婚支援などが議論されていますが、問題の根は深く、特効薬があるわけではありません。これは国全体の問題でもありますが、他人頼みにするのではなく、究極的には一人ひとりが「自分の人生は自分で切り開く」という強い意志を持って、冷静に受けとめる必要があります。
そのことを了解したうえで、あなたの「弟になんとかやる気を出してもらい、人生を前向きに歩んでほしい」という思いについて考えてみましょう。
弟さんには今のところ、その意欲が湧いていないようです。大学を中退し、親戚の紹介による就職先もトラブルの責任を取って辞めたということですから、自己肯定感も向上心も乏しくなっているだろうと言わざるを得ません。
一方、あなたはお母さんに対して「弟を甘やかしている」と少し非難する気持ちを抱いておられるようですが、そうした批判的な思いを抱いたままで、誰かを前向きに励ますことができるでしょうか。そんな気持ちで忠告するあなたの言葉に、弟さんは素直に耳を傾けるでしょうか。
人が希望を持って前向きに歩み始めるためには、自分に少々自信がなく、外で失敗して落ち込むことがあっても、大きな心で温かく受けとめてくれる強い味方の存在が不可欠です。弟さんの身近には、そのような存在があったでしょうか。
先にお父さんのことを申しましたが、もし父親不在ということであれば、お母さんがその役目も果たしてこられたということですから、あなたはまず、お母さんの味方になって、共に弟さんを温かく受けとめ、支える態度で見守っていくことから始める必要があると考えます。
「強く生きる」という基本的な姿勢は大切ですが、その強さを引き出すのは、粘り強く温かい慈愛の態度です。その点を心に刻んで、弟さんに接していただきたいと思います。
人は自分の内側からやる気が湧いてこない限り、前向きに歩むことはできないのですから。
平成29年1月号

 

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